今日のマヤ暦は「トカゲ7」です。

 

12日「夜6」の昨日、東京大学入学式でのジェンダー研究の第一人者、社会学者・上野千鶴子の祝辞について、ネットでは盛り上がっているようです。

 

がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。…世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

 

確かに。桜

 

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

 

そうだよね。桜

 

 

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

これまであなた方は正解のある知を求めてきました。

これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

 

ほんとに!桜

 

 

さすがフェミニスト社会学者上野さんです。

 

私も一人の女性として、子育てで大変だった頃から地域のコミュニティーのために色々な行事や会議にも参加し、男女が共に暮らす社会づくりのための定義や問題を一緒に考えたり、冊子を行政と一緒に制作したりと貢献してきました。

論文を投稿したりもしていました。

 

でもそうして何年も取り組んでくるあいだに、何かとても大切なことを忘れている、見失っているように感じ、全部やめました。

 

 

上野さんは祝辞でこうも述べています。

 

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 

 

なぜ強者とか弱者とか、男とか女とか、勝ち組負け組とか、恵まれた人恵まれない人とか障がい者と健常者などのような二項対立でとらえることになるのでしょう。

 

「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」

ずいぶんと悲しい言葉をお使いになるなぁとがっかり致しました。

 

弱者は本当に弱者でしょうか?

弱者は強者にはなれないのでしょうか?

強者って何でしょうか?

女性は弱者でしょうか?

障がい者やLGBTは弱者でしょうか?

マジョリティが強者でマイノリティが弱者でしょうか?少数というだけではないでしょうか。

 

なんか違うようにおもいます。

 

 

弱者も強者もほんとうはないのだとおもいます。

いま日本社会は大変な時代に突入しています。

弱者強者とか善悪、男女とかいう二元論的意識次元を超えて、危機感をもって取り組まなくてはいけないもっと大事な問題がたくさんあります。

上野さんがお話されるように考える思考自体、思想自体が存在論的転回を妨げているのではないでしょうか。

 

 

 

マヤ暦の思想体系では、人間には「生命樹」という精神や心を象徴する「樹」があります。

生命樹は、マヤの暦とともに、大地に根をはやし、栄養を吸い上げて幹を伸ばし、枝葉をつけて成長していく様を様々なアーキタイプ、トーテム、神々や暦の守護者とともに、パターンとしてあらわれくる現象や現実的な障害や苦難を覚悟して引き受け、どのように生命樹が枯れないよう、策をたててリンゴを実らせるかということを思考していきます。

 

 

マヤ生命樹の世界観では、一人の人間に「男性性」も「女性性」も枝のようにして伸びています。男性性は「男性的なるもの」ですし、女性性は「女性的なるもの」です。

その両者は一人の生命樹のなかに共存しています。

それは「女性」であることや「男性」であることを意味せず、モチーフ、アーキタイプとして、心模様として生き続けています。

 

弱い自分、強い自分、男っぽい自分、女性っぽい自分、ダメな自分、イケイケな自分、ぜんぶオントロジカルに生命樹に組み込まれていて、その人の生き方や世界観に影響を与えています。

 

そのようなマヤ的な世界観、思想に触れることで、二元論から脱することが可能となるようにおもいます。

 

 

ヘビは脱皮をしないと死ぬといいます。

ヘビが脱皮をするように、人間の心や精神も脱皮しながら次なる自分へと成長していきます。

 

脱皮できない蛇は滅びる

 

 

 

今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

 

どうして突き動かす動機が「怒り」とか「闘い」とかなのでしょう。

 

純粋に興味に惹かれ、狂気なのか神憑ってるのかわからないけど夢中になって研究するのとは異なります。

 

 

大学に入学された全国のみなさん、他者の言葉や決まった思考に動かされるのではなく、自分が直感的にすごいと思った人に尊敬する人にあこがれる先生方に感染し、影響されてください。そして普遍的なものにもう少し目をむけてみてください。

 

これからの未来は、地球の脱皮とともに未規定な時代に突入します。

 

 

 

参考サイトリンク:

「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】