『アンネの日記』を読みました | センター長のつぶやき/マヤ暦・アドバイザーサポートセンター

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6月12日は「日記の日」。

1942年6月12日、アンネ・フランクが13歳の誕生日に日記を始めたことにちなんだものだそうです。

 

6月13日のシンクロ通信で、そして、シンクロニシティ研究会のホームページ上にある越川代表の挨拶文の中で、触れられています。

 

 

世界で一番有名な日記、『アンネの日記』。

せっかくの機会なので、読んでみました。

 

アンネが日記を書いた期間は、1942年6月12日から、44年8月1日までの2年間。

13歳から15歳を過ぎるまでの一番多感な時期に、彼女が体験したことやそこで感じたことが綴られています。

 

アンネにとってのその期間は、ユダヤ人迫害から逃れるために隠れ家で過ごした逃亡期間。

警察はもちろん、近所の人にも気づかれてはいけないから、外を出歩くことが出来ないだけでなく、窓も開けられず、思い切り声を出すこともできません。

危険を感じた時には、じっとして身動きも取れないほど。

 

ただでさえ思春期の心の動きが激しい時期に、極限状態での生活。

家族や同居人とのすれ違いや、分かってもらえないことの悔しさ、戦争が終わってからの生活に向けた願いなど、こちらの心も揺さぶられます。

 

でも、けっして重苦しい雰囲気だけが漂っているのではなく、本を読んだり勉強したり、誰かの誕生日にはみんなで祝い合ったり、気持ちを寄せる相手を見出したり、あたたかい瞬間があったことに驚かされました。

 

 

日記は、親愛なる人への手紙の形式で書かれています。

その相手は、空想の自分。

 

もう一人の自分とでも言いましょうか。

 

 

年相応の身体の成長以上に、周りの大人を上回るくらいの心の成熟度会いを感じられたのは、過酷な環境であったことに加えて、自分に向き合い続けたその日々の積み重ねが関係しているのかもしれません。

 

日記(ダイアリー)の力を、改めて感じさせてもらった気がします。

 

 

『アンネの日記』、アドバイザーの皆さんも機会があれば読んでみてください。

 

 

シンクロニシティ研究会のアドバイザーサポートセンター、センター長の吉村から、

マヤ暦認定アドバイザーの皆さまへお届けしました。

 

ではまた、お話ししましょう。

 

 

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