アーユルヴェーダで語られる、宇宙のはじまりの物語。

 

その続きです。

 

 

前回はこちら下矢印

 

 

 

 

 

純粋な意識であるプルシャ
原初のエネルギーであるプラクリティ
そして普遍的な知性であるマハト

 

 

これらによって、
宇宙全体には普遍的な調和がもたらされていました。

 

 

ところがそんな調和された宇宙に、新たに創造された「個別性」。

 

 

これが「アハンカーラ(自我)」です。

 

 

アハンカーラとは、
「自我意識」や「エゴ」といった意味であり、
”わたしは、わたしであること”。

 

 

そして
”わたしは、わたしである”

と強く認識することで、今度は
”わたしではない、あなた”
という概念が生まれました。

 

 

プルシャ、プラクリティ、マハトという
一体であった存在から、
初めて個別の存在が創造され、
「自己と他者」という境界線が引かれるようになります。

 

 

こうしてわたしたちは「自己」と「他者」として、
出会いや別れといった様々な体験をします。
さらにそれらの体験を通して、
喜びや悲しみ、愛、憎しみーといった
あらゆる感情を知っていくのです。

 

ところが、
宇宙が望んだこれらの体験や感情は、
わたしたちにとって悩みや苦しみも
もたらします。

 

 

すなわち、
「自己と他者」という区別があるからこそ、
悩みや苦しみが生じることになります。

 

 

たとえばわたしたちは、
自分の考えや価値観を、
心のどこかで皆同じであると思ってしまう。


そして心のどこかでは、自分が正しいとさえ
思う。

 

 

もちろん建前では、
「様々な考えがある」
「多様性を尊重する」
などと口にしていたり、
それが自分の本心だと思っているかもしれません。

 

 

ところが実際に
自分と異なる考えや価値観を示されると、
理解できないゆえの戸惑いやいら立ち、
拒否的な感情が生じます。

 

 

でも「自己と他者」が在ること、
これを真の意味で理解できたなら、
そこに変化があるかもしれません。

 

 

たとえば、自分と異なる誰かの考えは、
新しい視点をもたらしてくれるかもしれないし、

自分の偏った観念にも気づかされるかもしれない。

 

 

それは他者がいるからこそ、知りうることです。

 

 

また、「自己と他者」は、
考えや価値観のみならず、
得意なこと苦手なことも各々異なります。

 

 

これまでわたしたちは長らく、
苦手なことも人並みにできるようにと
努力してきました。

 

 

でも本当は、
すべてをうまくこなせるようになる必要はなく、

得意なことをどんどん伸ばしていく過程で、
喜びも楽しみも、時には苦しみも挫折もすべて体験できる。

 

 

苦手なことをやり続けることに

喜びや楽しみは生まれないし、
その苦しみは、魂の望む苦しみとは別物です。

 

 

自分が苦手なことは、
必ずそれが得意な人がいます。


わたしの凹を埋めてくれる人は必ずいる。

 

 

小さなかけらのようなわたしたちが、
そうして補い、満たし合うとき、
それは完成したジグソーパズルのように、
ぴったりとひとつになる。

 

 

そうしてわたしたちは、
「別個であるからこそひとつである」——

 

 

そのことも知るのではないでしょうか。

 

 

そして何より、
そのことをわたしたちは新たに知るのではなく、

ただそれを忘れているだけ。

 

 

本来プルシャという、
ひとつの存在であったものから
わたしたちは生まれたのだから、
本当ははじめからすべてを知っているのです。

 

 

「自我」が創造されたことは、
人間にとって深い悩みをもたらしたともいえます。

 

 

一方でわたしたちは、それゆえに、
”各々に自我があり別個であること”
そして
”別個であるゆえに、ひとつになりうること”
体験できる。

 

 

「わたしとあなた」は異なる人間だからこそ、
その思いが通じ合ったときの喜びを感じ、
互いに満たし合い、循環していく尊さも
知ることができます。

 

 

 

それはわたしたちが宇宙から与えられた
最大のギフトなのです。