こちらのブログは、
へと引っ越したのですが、
「宇宙のはじまりの物語」を
こちらでもまとめておきたく、転載します。
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わたしたちの肉体が
この世界での役目を終えたとき、
それはいわゆる「死」を意味します。
けれど、
意識の最も深い内側にあるとされる
「真我(アートマン)」——魂、本当の自分——は
変わることなく、ずっと在り続けます。
今日は、アーユルヴェーダが語る
宇宙のはじまりについて、
少し紐解いてみようと思います。
真我(魂、本当の自分)はなぜ変わらず在り続けるのか。
――それは、この宇宙のはじまりの物語なくしては語れません。
この世界において、変わらないものは何ひとつありません。
すべてのものは絶えず移り変わっていきます。
しかし同時に、変化しないものがあります。
ただそこに在るもの。存在そのもの。
それは真に純粋な存在であり、
世界を観るだけの「意識」でもありました。
この存在が「プルシャ」です。
プルシャは色や形といったあらゆる属性や
時間、空間を超越したものであり、
もちろん「自己」や「他者」といった概念も
持ちません。
ただすべてを観ているだけの意識という存在。
さてこのプルシャは、あるとき、自らを意識し、
それを観たいと欲します。
そのとき生まれたのが「プラクリティ」です。
プルシャが観る者であるなら、
その対象となるのがプラクリティ。
プラクリティは観られる対象であると同時に、
原初の力であり、創造的なエネルギーでした。
こうして、
純粋な意識であるプルシャが自らを意識し、
それを映し出すプラクリティが生まれたとき、
初めて、「観る者」と「観られる者」、
すなわち「自己」と「他者」という概念が生まれたと
いえるのかもしれません。
そう聞くと、プルシャとプラクリティは
個別のもののようですが、
本来は一つの存在であり、
二つの側面を内包している存在です。
それは、
プルシャは男性的なエネルギー、
プラクリティは女性的なエネルギーと
表現されることもありますが、
わたしたちもその性別に関係なく
この二つのエネルギーを持ち合わせているのと
同じです。
「観る者」と「観られる者」として
個別の概念が生まれながら、
実際には一体であったということ。
このように、宇宙は
「観る者」と「観られる者」の出会いから始まり、
やがてそれは“全体を調和させる知性”を創造することになります。
それが、「マハト」という宇宙の知性。
生命の叡智などともいわれます。
この宇宙において、
動物や植物はもちろん、
鉱物や金属、水や空気など
あらゆる生命は各々に育まれ、
またそれらは影響し合って
互いに生命を支えています。
マハトとは、
その全体の調和をもたらしているもの。
それは普遍的な知性でもあります。
たとえば、
植物の種は、地に根を張り、茎は成長し、
花を咲かせる。
一方で植物は、わたしたち人間を含む動物に
酸素と栄養を与えています。
わたしたちは例外なく母親の胎内で成長し、
誕生後は呼吸を通して、
植物が放出した酸素を取り入れ、生命活動を行う。
このように、
すべての生命は教えられたわけでもないのに、
完全な調和のもとにあります。
これこそが宇宙の知性なのです。
プルシャ、プラクリティ、マハト。
これらは普遍であり完全な存在です。
一方で、このマハト=宇宙の知性が
自らを表現するために生み出した、
個々に生命をもつもの。
これが「アハンカーラ」、自我。
まさに「わたし」や「あなた」という個別性です。
プルシャ(純粋な意識)と
プラクリティ(創造の力)が出会い、
生まれた宇宙の知性マハト。
そのマハトが創造した個別性こそ、
わたしたち、ひとりひとりが持って生まれたもの。
それは誰とも異なる、
「わたし」であるということ。
そして、
「わたし」は「あなた」と出会い、別れ、
また別の「あなた」と出会う。
そうして出会う人との様々な体験を通して、
喜び、怒り、悲しみ、愛や憎しみなど
ありとあらゆる感情を味わう。
それをわたしたちも、まさに今、
体験しているところなのです。
そして、この体験こそ、
プルシャが望んだことであるならば、
各々にとって必要な体験や感情を
どれだけ知り、味わえるか。
それが「生きる」ということなのかもしれません。
そして存分に生き切った先に、
変わりゆく肉体はその役目を静かに終えて、
変わることのない真我(魂、本当の自分)は
プルシャへと還っていく。
真我は変わらず、在り続ける――
その意味は確かに、
宇宙のはじまりの物語に隠されていました。
さて、
アハンカーラ=自我が生まれたことで
宇宙はどうなっていくのでしょうか。
これはまだほんの序章にすぎません。
その先のお話はまた次回。