宇宙のはじまりの物語、その続きです。

 

 

①、②はこちら下矢印

 

 

 

 
 

 

 

 

前回までは、
純粋な意識である「プルシャ」
根本的なエネルギーである「プラクリティ」
宇宙の知性、「マハト」

 

 

この3つによって調和されていた宇宙に、
「アハンカーラ」、自我が生まれたお話でした。

 

 

こうして「わたしとあなた」という区別ができたことで、
わたしたちは様々なすれ違いや葛藤、孤独、
絶望さえ感じることもあるかもしれません。

 

 

でもその一方で、他者がいるからこそ、
「ひとりではない」ということ、
「互いに助け支えられて生きている」こと、
「すべてはひとつ」なのだと
初めて知ることができるのです。

 

 


 

 

さて、
「わたし」と「あなた」が生まれたということは、
両者をつなぐ「関係性」も生じたことになります。

 

 

①わたし(主体)
②あなた(客体)
③つなぐ関係性(関係性=他者という存在の認識)

 

 

この3つを、アーユルヴェーダでは、
自然界における3つの基本的な属性(グナ)に
対応しているといいます。

 

 

この3つの性質、グナとは、
「サットヴァ」(純性)
「ラジャス」(激性・動性)
「タマス」(暗性・鈍性)

といわれるものです。

 

サットヴァ(純性)
サットヴァ(純性)
 
ラジャス(激性・動性)
 
タマス(暗性・鈍性)

 

3つの性質のイメージ、少し掴めたでしょうか?

 

 

そもそも宇宙の創造には、
この3つの性質が必要であり、
これらによって成り立っていると考えられています。

 

 

さらにアーユルヴェーダでは、
①純性である「サットヴァ」➡「わたし」
②暗性である「タマス」➡「あなた」
③激性である「ラジャス」➡「両者をつなぐ関係性」

というように、各々対応するとしています。

 

 

すなわち、「わたし」は、
どこまでも純粋な性質=サットヴァを持ち、
観察するものという主体であり、
いちばん初めに出てきた「プルシャ」であると
言えます。

 

 

そして「あなた」は、見られる対象であり、
また見られていなくとも、独立して存在している客体です。

 

 

それは主体からすると、
「まだ認識していない存在」
(だけれども存在はしている)であり、
まだ光が当たっていない暗闇でもあり、
隠されているものである。
それが暗性を表すタマス、ということになります。

 

 

またこれも前回の話にも繋がりますが、
『「わたしとあなた」は
個別でありながら、ひとつでもある』
ならば、この「まだ認識していない存在」は
潜在的なもうひとりの自分でもあるのかもしれません。

 

 

他者を通して知る自分。
これは普段の生活でも体験することが
あるのではないでしょうか。

 

 

たとえば、
誰かが大して努力をしてなさそうなのに
豊かに暮らしているのを見てモヤモヤするとき、
自分の中に、
「楽をして豊かになってはいけない」といった
強い観念が潜んでいることがあります。

 

 

「他人は自分を映す鏡」ともいいますが、
わたしたちは他者を通して、
気づいていなかった自分を知ることができる。

 

 

それはまさに、自分が見たくなかった
自分自身の「闇」なのかもしれません。

 

 

でもその先には必ず光があり、
それはまさに純粋な光、サットヴァです。

 

 

わたしたちはサットヴァを目指すことが
人生の目的のひとつでもあると
アーユルヴェーダでは説かれていますが、
光は闇があってこそ輝くもの。

 

 

タマスがあるからこそ、サットヴァがあり、
どちらも大切なエネルギーともいえます。

 

 

 

さて少し話が逸れてしまいましたが、
この「わたし」(主体)と「あなた」(客体)を
つなぐのが、激性であるラジャスとなります。

 

 

何かを生み出すとき、
ここでは他者を観る、また認識するには
大きな「動き」のエネルギーが必要です。
それをもたらすのがラジャスなのです。

 

 

サットヴァ、ラジャス、タマス。
それは、光、闇、ダイナミズム(動き)。

 

 

実はこの3つは、
「こころ」のエネルギーとして
語られることが多いのですが、
(それについてもまたお話します)
このように、宇宙の創造にも
大きく関わっていて、
わたしとあなたをつなぐエネルギーでもある。

 

 

それはとてもダイナミックであり、
シンプルで美しい宇宙の摂理だと
わたしはいつも感じます。