「平成は波乱のはじまり!」エピソード12 | コーキのテキトーク

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僕には20歳から40歳くらいまでの写真がほとんどない。

実は2回目に結婚した女性に全て捨てられてしまった。

数にして数千枚。

そこには、上京した頃や初めて海外に行った時など、今思えば

何物にも代えられない貴重な瞬間を記録した写真があった。

なので僕の過去は全て自分の頭に刻まれたものでしかない。

自分の記憶がどこまで正しいかわからない。

だからこそその一つ一つを文字に書き残していきたい。

 

1997年(平成9年)師走

 

 

32歳、この年もそろそろ暮れようとしていた。

この頃、番組のプロデューサーと喧嘩して、キー局の番組を離れ、

下北沢の制作会社でCSの安い仕事をこなしていた。

でもどこかでキー局の番組に返り咲かないといけないと焦ってはいた。

下北沢駅から南口を下ったところに、ラグタイムというバーがあった。

オーナーは、元劇団四季の劇団員、バーテンはシローちゃんというとっぽい感じの男だった。

仕事終わりに毎日のように通っていた。

そこで制作会社の忘年会が行われた。

当日店に行くと、チエちゃんがいた。

チエちゃんは新宿伊勢丹に勤務していて、ノリがよくしかも超巨乳!

一度触ってみたかったけど恋人同士でもない僕がそんなことできるわけがない。

そのチエちゃんがある女性を連れてきていて紹介され、

三人で乾杯した。

何気なくその女性と会話を始めた。

女性は、熊本出身で大学を卒業して上京したばかりの23歳で、

僕より9歳年下だった。

どうやら九州の人間は九州の人間に縁があるみたいだ。

この春に上京して、おじさんが経営する会社に就職したらしい。

おじさんの会社は、新宿の外れにあり、新宿伊勢丹に勤めるチエちゃんと

出会い友達になったらしい。まだ東京のことを右も左もわからない感じだった。

何気なく、明日、食事でも行かない?と誘うと快諾してくれた。

でもどこかで不安があった。

「真面目に人を愛せない症候群」という不治の病にかかっていた僕は、

またどうでもいい気持ちにならないだろうか?内心ヒヤヒヤだった。

翌日僕らは下北沢で再会した。

適当な飲食店に入り、酒を飲み始めた。

女性と二人で恋人同士のように食事をするなんて久しぶりのことだった。

まだ田舎から出てきたばかりで、どこか都会に毒されいない純真さがあった。

「ちょっと表参道に行かない?」と僕は何気なく言った。

「何があるの?」と彼女、「えっ!知らないの?じゃあ行こう」と言い、

僕らは店を出た。

茶沢通りでタクシーを拾い、表参道に向かった。

原宿駅で下車して、表参道に向かって歩き始めた。

「うわっ!キレイ」と彼女は言った。

原宿駅から表参道にかけ約1キロ、150本のケヤキに

90万球のイルミネーション飾られていた。

まばゆいシャンパンゴールの光、クリスマス時期のお馴染みの光景だった。

「これ見せたかったんだ」と僕が言うと彼女は「こんなの初めて」と言った。

街には、スピードの「ホワイト・ラブ」が流れていた。

彼女たちの解散も近づいていた。

食事もさることながら、女性と二人でこんなコテコテのデートコースなんて

本当に久しぶりだった。通り過ぎる恋人たち、こぼれる笑み、白い息、

街中見学客でごった返していた。

僕らはその光景をしばらく無言で見つめていた。

「なんか俺たち恋人同士みたいだね」と僕が言うと、彼女はにっこり笑った。

イルミネーションをバックに彼女の笑みがまぶしかった。

それを境に僕らは付き合うことになった。

離婚してからおよそ4年半、人を愛するエネルギーがとめどなく湧いてきた。

あんなに枯れていた僕の恋愛エネルギーは、完全復活を遂げた。

『「真面目に人を愛せない症候群」という病を俺は克服したんだ!』と思いっきり

叫びたかった。

彼女との出会いは色んな発見を与えてくれた。

「人を愛するエネルギーは無限なんだ」というとてつもなくシンプルでとてつもなく大事なことを。

映画「バニラスカイ」中で、ソフィア(ペネロペ・クルス)がデビッド(トム・クルーズ)にこんなこと言う。

「人生は何度でもやり直すことができるのよ」

そう、人生は何度だってやり直すことができるってことを改めて知った。

そして年が明け、1998年春、僕らは一緒に暮らし始めた。

またそれは波乱の始まりでもあった。

 

to be continue episode13.