薄暗い陰鬱な空気が流れる部屋の中、
見覚えのある女性が冷たく言葉を放つ。
「好きな人ができた、あなたとは別れたいの・・・ごめん」
言葉の意味がわからない、ただ不安と悲しみのどん底に突き落とされる。
水中で溺れもがき苦しむように、体をのけぞらせる。
もう駄目だと思った瞬間、目が覚める。
「ああ、夢だったんだ・・・よかった」と胸をなでおろす。
余程ショックだったんだろう。あれから30年近く経過した今でも
この手の夢を、見てしまう。
1995年(平成7年)、まもなく30歳になろうとしていた。
一度目の離婚から2年が経過していた。
相変わらず、「真面目に人を愛せない症候群」という病に侵されていた。
もう自分は人を愛せない。そろそろ諦め掛けていた。
それでも仕事は順調にスキルアップし、引越し資金をつくるため、
昼夜を問わず仕事をこなした。
この年の正月早々、僕は神戸から東京までヒッチハイクの旅みたいな番組制作に、
携わっていた。
当時売り出し中のキャイーン二人と、物々交換しながらヒッチハイクを行う。
神戸の三ノ宮や異人館、中華街など巡り、生田神社近くのホテルで一泊した。
それから1週間後、番組の仕上げを行っていると、ADがMAルームに入ってきて、
「関西で大地震があったみたいですよ」と言った。
慌てて、テレビを付けると、空襲を受けたような無残な光景が広がっていた。
阪神淡路大震災だった。誰もが驚いた。
1週間前、ロケで訪れた三ノ宮のアーケードや生田神社は崩壊していた。
この地震が、1週間早かったら一体僕はどうなったんだろう?と怖くなった。
こんなことが日本で起きていることが信じられなかった。
それでも淡々と作業は続いた。
後日、完パケの中に、三ノ宮が入っていることで放送が延期になった。
それもそのはず、三ノ宮のキャバクラに行って散々キャバ嬢をいじり倒し、
面白おかしい仕上げになっていたからだ。
彼女たちは無事だったんだろうか?いまとなってはわからない。
苦労に苦労を重ね撮影をこなし完成させた番組は、結局オクラ入りとなった。
それから2ヶ月後、またまた大事件が勃発した!
午前中呑気に会社に行くと、社内はざわついていた。
テレビに目を向けると、築地で人々がバタバタと倒れ込んでいる映像が
飛び込んできた。地下鉄サリン事件だった。
当時僕は中目黒駅近くに住んでいた。中目黒は東横線と日比谷線が乗り入れていて、
僕が勤務していた会社は麹町にあり、渋谷経由で行くか、日比谷経由で行くか、
その日の気分次第だった。
もし午前8時ごろ、日比谷経由の電車に乗っていたら、間違いなく事件に
巻き込まれていただろう。業界の仕事の始まりが、
通常のラッシュ時間より遅いのが幸いした。
阪神淡路大震災といい地下鉄サリン事件といい、なんか自分の
スレスレのところで発生していた。
それからというもの東京は異常事態に陥ることになる。
地下鉄でゴミ一つ落ちていればパニックとなり、ゴミ箱は撤収され、
山梨ナンバーの車を見れば、それだけでオウム関係者と決めつけられ排除された。
とにかく1995年は、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に染まった年だった。
3月の終わり、僕は中目黒から世田谷に引越しをした。
三軒茶屋から世田谷線で数分、世田谷通りから一歩入った住宅街のマンションだった。
1Kで10万円、バスタブはなくオシャレなシャワールームが完備され、
窓にはブラインドが取り付けられていた。
不動産屋に案内され、部屋を見た瞬間ここだと決めた。
正月から馬車馬のように働き100万円を用立て、すべて引っ越し資金に消えた。
家電・家具全てを買い直し新たなスタートを切った。
でも何かが物足りなかった・・・もう30歳なのに、彼女の一人や二人いない業界人なんて、
ダメダメな人間だろうとジレンマを抱えていた。
焦っても仕方がない。必ずその日はやってくる。
またまた自分の人生を大きく変えることになる女性との出会いは、もう少し先の話。
あの悪夢から解放される運命の日は、刻一刻と近づいてきていた。
to be continue episode11.