「平成は波乱のはじまり!」エピソード9 | コーキのテキトーク

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1993年(平成5年)春、僕は新たなスタートを切ることになった。

離婚届に判を押し、突然一人きりで生きてくことを余儀なくされた。

今まで家に帰れば当たり前のように、隣にいた人がいなくなるというには結構辛いもんだ。

その生活に慣れるには時間がかかった。

一人が嫌だから友達を飲みに誘うと、「今日奥さんと食事」なんてぬかしやがる。

僕が離婚したタイミングで、友人たちが結婚していた。

その頃、離婚のゴタゴタから会社をやめていたので、プータローみたいな生活をしていた。

業界には携わりたい。でもどこか映画やドラマだと彼女と出くわすかもしれないという想いから、

畑の違う仕事を選択した。

それが、情報番組のディレクターだった!間も無く28歳になろうとしていた。

そんな年齢にも関わらず、最初ADみたいなことをやらねばならなかった。

しかしなんで今更こんなことやってるんだという思いが募り、毎日ふてくされ、

もっともやる気のないADだった。

態度はでかく、一丁前の事を言うが、もっともやる気のないAD。

ADの基本的な仕事は、撮影スケジュールを組み立て、先方に電話を入れ、アポをとりロケの調整をする。

しかし一向にやらない。

あまりにやる気がなくて、取材先に一切電話もせず突然ロケに行ったものだから、

先方がカンカンになり、クレームの電話が入ったことがある。

プロデューサーからは大目玉をくらい、菓子折りを持って川越まで謝罪に行ったことがある。

そんなことが重なり、ADとしては使い物にならないから「ディレクターやってみろ」と

命令が下り、ついにディレクターデビューとなった。

相当な力技だった。

この時を待ってましたと、これまで溜め込んでいたアイデアを全て使い果たし、

番組を初演出した。以後、晴れて番組ディレクターとして様々な番組に携わるようになる。

しかしその頃僕は、とんでもない不治の病に侵されていた。

病名は「真面目に人を愛せない症候群」という厄介な病気。

離婚のショックから、誰一人真面目に好きになることができなかった。

周りからは気を使って、いろんな女性を紹介をしてくれるがあと一歩が踏み出せない。

ある日、先輩ディレクターからある女性を紹介され、二人で映画を観に行った。

確か「クライングゲーム」という映画だった。

映画は最高の出来栄えで、すごい感動したけど、観終わるとそのまま僕は帰った。

普通の流れで行くと食事にでも誘い、映画をおかずに盛り上がるはずなんだが、

そのまま別れてそれっきりだった。

その反動で番組仲間とフィリピンパブに通い、不毛な会話で朝まで店にいる。

明け方、仕事を終えたフィリピーナと焼肉屋に行きご馳走してあげる。

彼女たちは営業中は食事もできないからお腹をすかせている。

だから注文も半端ない。

彼女たちは半年間のビザが切れると帰国しないといけない。

そんな時はわざわざプレゼントを買って持って行ってあげる。

全く楽しくもなく、アンニュイな時間が過ぎていくだけ。

「これじゃ駄目だ!ちゃんと恋愛しよう」と思うが、本気になれない。

悩んだ末、大真面目にこんなことを考えるようになった。

「人を愛する恋愛エネルギーには限りがあって、僕はその恋愛エネルギーを全部使い果たした。

だからもう人を愛することができないんだ」

いま思えば馬鹿げているとしか思えないが、当時は真剣にそう思っていた。

叫んでも悩んでも誰も解決してくれない。結局困難を乗り切るのは自分の力だけだ!

でもいつか必ず傷も癒える時が来る。その境地に達するまでにはまだまだ長い時間が必要だった。

完治するまで5年近く、この病魔と闘うことになる。

映画「モテキ」の中で山本未來が、「降りてこい!俺のモテキよぉ~」と叫ぶが、

それ風に言えば、「湧いてこい!俺の恋愛エネルギーよぉ~」だろう。

北風吹きすさぶ中、石ころ蹴飛ばし伊達直人のように寂しく歩いていく自分の姿があった。

 

to be continue.