「平成は波乱のはじまり!」スピンオフ | コーキのテキトーク

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1987年(昭和62年)、元号が平成に変わるちょっと前の話。

その年、僕は映画学校を卒業した。

映画の仕事に携わりたいという思いから上京した僕。

しかし、卒業したからといって、はいどうぞと映画の仕事にはありつけない。

当時は、日本映画がもっとも衰退していた頃で、いまのように独立系の制作会社が

映画をつくるというのは、ほとんどない時代、

撮影所の採用もなく、フリーの助監督からはじめるのが一般的だった。

世は、ホイチョイプロ全盛期で、「私をスキーに連れてって」や「彼女が水着に着替えたら」なんていう

映画が大ヒットしていた。

根っからアウトローを気取っていた僕は、「こんな映画死んでも見るか」と息巻いていた。

そんな中、友人から仕事の電話があった。

「明日の夜、原宿で撮影があって、車止めしてくれないか?」という電話だった。

「なんの撮影なの?」と僕。

すると、「薬師丸ひろ子が主演の映画だよ」と友人は言った。

これは行かなきゃならんだろう。僕は行くと約束した。

当日、原宿駅に行くと、物々しい撮影隊が駅前に陣取り、大勢のスタッフが鼻息を荒くしていた。

5間のイントレの上には、カメラがのせられ、撮影の準備が着々と進んでいた。

友人を見つけ近寄ると、トランシーバーと赤橙を渡され、車止めをお願いされた。

今から原宿駅を全面封鎖して撮影を行うらしい。

原宿駅前といえば、とんでもない交通量で、ひっきりなしに車両が通過する。

僕は原宿駅から渋谷に抜ける公園通りの遥か彼方で車を止めなきゃならない。

とは言え、僕らは警察官じゃない。勝手に車を止める権限なんかあるはずもない。

無理矢理車の前に現れ、「撮影中なんで、止まってもらっていいですか」とお願いする。

トランシーバーから、「次本番なんで、車止めて」という指令が発せられる。

その瞬間、勇気を振り絞って、車の前に現れ止める。

止まってはくれるが、なかなかOKが出ない。

そのうち、クラクションが鳴り始める。しまいには、筋もんみたいな男が出てきて、

いちゃもんつけてくる。「ヤバい!こいつらものほんだ。懐にピストルでも隠してるかもしれない」

心の中では、「早くOK出せよ」と叫びたくなる。

長い長い撮影時間が終わり、「はいOK」という言葉がやっとトランシーバーから発せられた。

すぐさま、道路封鎖を解除して、カメラがある本隊のもとへ戻った。

制作主任みたいな男が現れ、「はいギャラ」と1万円札が差し出された。

僕はありがたくいただき、帰ろうとしたら、そこに、薬師丸ひろ子が楽しそうにはしゃいでる姿があった。

恐らく芸能人と呼ばれる人をこんなに間近に見たのは初めてだと思う。

10代の頃から、彼女の映画はすべて見ていた。「セーラー服と機関銃」「メインテーマ」

「Wの悲劇」など。その彼女がそこにいた。年齢は彼女の方が一つ上だった。

蝶よ花よの世界にいる薬師丸ひろ子、一方、車止めで1万円もらって喜んでいる僕。

なんかやるせない気持ちになった。

「あっちは10代の頃からスターダムにのし上がり、人気の大スター。

僕はしがない見習い業界人。これが現実だ」と自分に言い聞かせた。

その映画が公開され、僕は映画館に観に行った。

タイトルは、「紳士協定」

薬師丸ひろ子と時任三郎の共演だった。

映画は最低につまらなかった。でも苦労して撮影した原宿交差点だけは印象的だった。

業界人として歩み始めた僕の最初の仕事だった。

薬師丸ひろ子をテレビで見るたび、いまでもこのことを思い出してしまう。

 

to be continue.