「東京エスケープ~最終章~」
2015年元旦、九州では珍しく雪が積もり、朝起きると白銀の世界に
塗り替えられていた。
僕はこの景色を見て、少し不思議な気持ちになった。
遡ること10年前、2005年元旦。
僕は東京に住んでいて、部屋の窓を開けると、一面白銀の世界だった。
僕は、その景色を最後に、東京をエスケープすることになる。
1985年から2005年までの20年間、僕は東京で生活してきた。
東京では数えきれないくらい貴重な体験をした。
2度の結婚と2度の離婚、一時ホームレスになったこともある。
栄光というほどのものではないが、輝いていた時もあれば、
挫折も味わった。
何度も東京に見切りをつけようと思ったこともある。
それでも僕は、東京にしがみついて生きていたかった。
いま思えば、そのすべてが愛おしい。
2004年の春ころ、2回目の妻と離婚をした。
それを期に、いろんなことが噛み合わず、歯車が大きく狂い始め、
僕は東京を去ることになる。
離婚してから数ヶ月後の師走。
街中に響き渡るクリスマスソング。
数年ぶりに味わう侘しいクリスマス。
僕は、東京という大都会で独りぼっちになった気がした。
大晦日も当然、独りきりだった。
紅白歌合戦を見ながらビールを飲み、そのまま眠りについた。
2005年元旦、早朝。
僕は猛烈な寒さで起こされた。
窓のカーテンを開けると、一瞬ハッとなった。
一夜にして、東京は白銀の世界に変わっていた。
遠くに見える新宿副都心、僕はしばらく、その景色に見とれた。
上京して20年になるけど、元旦の雪景色は初めての出来事だった。
このときの光景は、いまでもはっきり憶えている。
イルカの歌じゃないけど、東京で見る雪がこれが最後になるかもしれないと
思った。
友人から購入した古い車に荷物を積み込み、僕は東京をあとにした。
池袋インターから首都高にのり、東名高速を目指した。
途中、雪化粧された新宿副都心が、ビルとビルの間に、チラチラと見え隠れし、
やがて見えなくなった。
それが、僕が見た最後の東京らしい光景だった。
僕は誰にも告げずに東京をあとにした。
その時、カーコンポから流れていたのが、中島美嘉の「雪の華」だった。
僕はいまでもこの曲を聴くと、胸が熱くなる。
途中、足柄インターに立ち寄り、風呂に浸かり、都会の垢を落とし、
まったく希望もなく、どん底の気持ちのままで故郷・九州へ帰った。
東京→九州
しかし、運命の歯車は、またまた大きく動き出す。
ひょんなことから、福岡で仕事がみつかった。
それを期に福岡の友人たちが、プチ同窓会を開いたくれて、僕は25年ぶりに
同級生と再会した。
その中に、現在の妻がいた。
お互い、間もなく40歳になろうとしていた。
猛烈な勢いで、僕は彼女と急接近し、僕らは一緒に暮らし始めた。
このときのことを、たとえて言うなら映画「マトリックス」のような数日間である。
マトリックスの中で、1秒間を10秒くらいかけて描くシーンがある。
それだけ、1秒間が濃密なのである。
このときの僕も、濃密な二日間を過ごしたと思う。
僕らは、初デートから一緒に暮らし始めた。
そして翌年、2006年元旦、僕らは入籍した。
彼女は僕のすべてを受け入れ、結婚を決意してくれた。
僕は3度目の結婚を果たすことになる。
思えば前年の元旦は、失望の中、東京をあとにした男が、たった1年で奇跡の復活を
遂げた。
結婚がすべてじゃないけど、自分を支えてくれる人に出会えるのは仕合せなことだ。
僕は、この10年間、暇を見つけては、自分が経験した3回の結婚を中心に、
原稿用紙にしたためてきた。
およそ270枚、文字にして9万文字である。
何度も何度も、書いては直し、書いては直しを繰り返してきた。
タイトル・・・ 「東京エスケープ」
逃げるようにして東京をあとにした自分に、ぴったりのタイトルだと思う。
今年でちょうど、東京をあとにして10年という節目に、これを出版したいと思う。
「人生は何度でもやり直せる」
人生に絶望し、暗闇を独りで歩いている人たちが、少しでも勇気が湧く作品に
なれば幸いである。
「きっと活路は見つかるはず」
いずれ、映画化も行いたい。
映画「大脱走」(The great escape)の中で、脱獄に失敗し再び捕虜となる
スティーブ・マックイーンは、絶望ではなく、希望に満ちた表情を浮かべる。
僕もそんな顔で、東京をESCAPEしたかった。


