富士山での悪夢!最後は感動! | コーキのテキトーク

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世界にも類を見ない美しい景観を醸し出す富士山が、正式に世界文化遺産に登録されることが



決定された。



それを聞いて、僕は自分に起こった富士山でのある体験を思い出した。



生死を掛けた男たちのドラマと言っても過言ではない!




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僕は仕事で富士山登頂を5,6回行っている。



その中でも、生涯忘れることのできないエピソード。





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かれこれ10年ほど前、僕はテレビ東京の番組で、「芸能人初めてのボランティア」という



2時間番組のディレクターを担当した。



4、5人のディレクターがいて、それぞれのコーナーを受け持ち、ロケ編集を行う。



僕が担当したのは、半身不随の障害者の方や車椅子のお年寄りを、



背中に背負って登頂するボランティア団体。



この活動に、二人の芸能人を送り込むことに。





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■ K-1ファイター 佐竹雅昭



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■ 森脇 健児


参加したのはこの二人、元K-1ファイターの佐竹雅昭とタレントの森脇健児。



いずれも体力に自信のある兵だ。



僕は、ロケ前から、ボランティアを行っている方たちに同行して、高尾山登頂を行い、



いかに過酷なものなのか、身をもって経験し、ロケの日を迎えた。



かくして本番の日はやってきた。



その日は、早朝から曇り空で天気は良くなかった。



富士山五合目に到着しても、天気は回復しなかった。



「ロケ、どうする?」とプロデューサーが聞いてきた。



「まあ、やりましょうよ。いよいよ悪くなったら引き返せばいいじゃないですか」と僕は、



軽いノリで言った。



「九州の方で、台風が近づいているらしいぜ」と言ったプロデューサーの言葉を、



「そうなんですか」と軽く受け流してしまった。



ロケスタッフが20名、ボランティアグループが15名、総勢35名ほどの人たちが参加している



ことを考えると簡単に延期と言い出せなかった。



スケジュールは、静岡側から入り、初日は8合目まで行き、仮眠をとり翌日午前2時に出発して、



ご来光を見て、山頂を目指す。



その日参加していただいたのは、下半身不随の男性。



男性は、幼少の頃から登山が好きで、山登りをしてきたが、交通事故で半身不随となり、



登山ができない体になってしまった。



しかも、富士山登頂を果たすこともなく、事故に見舞われたので、富士山には特別な思いがあった。



そんな状態の中、富士山登頂はスタートした。



プロの登山家が、おんぶして山道を歩いていく。



見よう見まねで、タレントたちも挑戦することに。



最初はなだらかな傾斜だが、徐々に険しい道のりになっていく。



体力に自信のある佐竹でも、30メートルも行けば、息切れがして、座り込んでしまう。



森脇も挑戦したが、数10メートル行けば、へたりこんでしまう。



過酷なものだった。交代しながら、少しずつ険しい道を登っていく。



その様子を、撮影しながら登るカメラマンも過酷なものだった。



通常だと、5合目から山頂までは、5時間くらいで登れる。



しかし、身障者を担ぎながらの登頂なので、約3倍の時間を要した。




山の天気は一瞬で変わる。



6合目を過ぎたあたりから、段々風が強くなってきた。



それでも、逆に過酷な映像が撮影できて、自分ではオイシイなんて軽いことを考えていた。



さらに、雨も加わり、風も強くなってきた。



そうこうしているうちに、立っていられないくらいの強風になってきた。



「ヤバイ!まじでヤバイ!」思わず叫んだ!



「引き返そう」誰かが言った。



しかし、引き返すにも引き返せない。



草むらや物影が全くない、むき出し状態の富士山は、山小屋に避難するしかない。



「8合目の山小屋まで行きましょう」登山家のリーダーが言った。



僕らは、ひと塊になりながら、遭難者が出ないように、一歩一歩歩き始めた。



さらに、風がつよくなった。いままで経験したことがないほどの強風だった。



吹き荒れる風に耐えながら、なんとか8合目の山小屋に到着した。



カメラは、雨で基盤をやられ壊れてしまった。



遭難者がいないか、点呼をとると、二人のADがいなかった。



僕は顔から血の気が引いていくのがわかった。



「まずいことになった!」僕は軽いノリで、ロケを敢行したことをマジで後悔した。



当時、富士山では携帯は繋がらなかった。頼りは無線だけ。



万が一の為、無線は持って来ていて、ADに持たせていたが、何度呼びかけても返答がない。



「どうする?」とプロデューサーが聞いてきた。



しばらく考え、「僕が下まで見てきます」と言った。



ここから上に行くことは、ありえない。遭難したとしたらここから下のどこかだろう。



僕は、一も二もなく山小屋を飛び出した。



さらに風雨は強くなっていた。



映画「八甲田山」じゃないけど、「天は我らを見捨てたり」と思わず叫びたくなった。



8合目から7合目まで、とにかく全力で歩いた。風に吹き飛ばされ滑落した可能性もある。



もしくは、上から岩石が転がってきて、巻き込まれたかもしれない。



最悪なことが頭をよぎり続けた。



必死の思いで、やっと7合目の山小屋についた。



扉を開けると、呑気にタバコを吸っている二人のADがいた。




「お前ら無事だったか!」



「はい、どうしました?」



その言葉に、一瞬ムカッときたが、何事もなかったことに安堵して力が抜けて行った。



「とにかく、ここから動くな。今夜はここで寝ろ」と言った。



僕も7合目の山小屋に宿泊してもよかったが、8合目の山小屋で心配しているスタッフに報告するため、



再び8合目を目指した。



とにかく、けが人は一人も出なかった。



僕らは、暖をとりながら冷え切った体を回復させ、山小屋名物カレーライスを食べた。



その夜、山小屋はまさに、ウナギの寝床状態。ひとつの枕を二人で分け合った。



翌日天気は回復したが、みな憔悴していて、下山することを決定した。




それから1週間後、再び富士山登頂ロケを行った。



その日は、天気に恵まれ、夕方8合目山小屋に到着。



翌日、午前2時に出発し、見事なご来光を見ることができた。



しかし、3000メートルを超えると空気が薄くなっていくので、障害者の男性を担いで登るのは、



困難を極めた。



そしてついに、山頂に到着した。



男性は、初めて見る富士の頂きに感動していた。



僕らスタッフ全員も達成感に溢れ、プチ感動してしまった。



あんな苦労があったから、感動もひとしおだった。



何が起きてもおかしくないロケだった。



いまとなっては、笑い話かもしれないが、その時は、マジでヤバイことの連続だった。



富士山を舞台に起きたかけがえのない体験。



そんな富士山に、またいつか登るときが来るだろうか?