愛 | 知奈津のブログ ~Open Heart~

知奈津のブログ ~Open Heart~

どこにいてもここにいる

一瞬に、
毎日に、

ありがとう

毎年みているUnity Festival
 
 
今年もたくさんの愛とエネルギーで満ち満ちていました。 感謝です。
 
Karmaさんのエネルギーワークで大号泣したわたし。
 
 
自分が愛の存在であることを思い出す
 
 
ことばにすると、
たったこれだけの文章なのだけど、
このワークは、わたしにとってことば以上のなにかがあった。
 
 
なにかがほしいわけじゃない
 
どうなりたいとか、そういうことでもない
そういうことともちょっと違う
 
 
ただそれを思い出したかったの
 
ずっと戻りたかったの、戻りたいの
 
そこ(愛)に戻って寛いでいたいの
 
 
ワーク中やそのあとにそんな内なる声を感じて
涙している自分がいた。
 
 
 
 
 
実家の神棚に 諏訪大社 の御札が祀られていて、
母が御札を替えに行くということで一緒に同行した。
 
八ヶ岳や諏訪に行くのはたぶん4,5年ぶりぐらい。
 
ランチしたお店で八ヶ岳の湧き水をいただいたり、
清流に足をつけたり、空気も澄んでいて、
 
リフレッシュしたような気分になりました。
 
 
茅の輪くぐりも。
 
 
 
 
諏訪大社も、諏訪湖も久しぶりで
懐かしいな~と思いながら周遊。
 
 
 
 
そんな感じで、なんだかリフレッシュして
来てよかった~と心から思いながら帰っている間にいろんなことがありました。
 
運転していてガソリンが残り2目盛になったので、
SAで入れなきゃと思っていたのだけど、
夕飯のお弁当を買ったり、犬の散歩をしたりしているうちに忘れてしまって、
 
SA休憩後高速道路を走り始めて少しすると母が、
 
ガソリン1目盛りしかない!点滅してる
こんなところでガス欠になったら困る。
どうしよう、こわーい。
 
そう言って、
わたしもえっ?ヤバいじゃんとその瞬間焦りと不安でいっぱいに。
 
 
 
 
 
次のインターでおりてガソリン入れるしかないと言っていたのにも関わらず、
母はインター出口を見落としてしまい、
また次のインターまで10kmほど走ることに。
 
途中で長いトンネルが何個もあって、
母もわたしもいつ止まってもおかしくない状況に恐怖を感じながら、
祈るような気持ちで次のインターを降りて、
ガソリンスタンドに向かったのでした。
 
 
時間にしたら10分ぐらいのことだけど、
とっても長く感じた。
 
 
 
 
 
予想外の出来事がありながらも、
ガソリンも入って安心して走り出したところで、
 
今度は 急にお腹が痛くなって、
 
ヤバい、うんこ漏れそう。
なんで急に??こんな時に?
つらすぎる、トイレまだ?滝汗
 
本気でそう思ってトイレにたどり着くまでの10分ぐらい悶え苦しんだ。
 
 
トイレに行ったあとスッキリしたけど、
参拝後からお腹の調子が不調気味。
 
 
 
 
 
 
浄化作用的なことは起きているけど、
 
それとは反対になんかスッキリしたような感覚もあって。
 
Unityフェスの紹介ブログを何気なく読み返していたら、
 
あなたもたったひとりのホームレスの方に
必要な物資を届けてください。
 
そんなことが目に入ってきて、
ことばにできないけど、このフェスや参拝したことでたくさんのものを受け取って、
感謝というのかそんな気持ちで溢れていたわたしは、
 
それを今できるものに込めて贈ろう
 
という気持ちになった。
 
 
そのブログの文言を見た瞬間、
考える という時間もなく、不思議と身体が動いていた。
 
 
 
 
 
絵を描いて、
エネルギーを込めてご飯を炊いて、
おにぎりを作って、
お水やOS1,塩分チャージのタブレットを買って、
 
それを駅にいた ホームレスのおじいさんにお渡ししました。
 
 
その一連の流れの中で感じたこと。
 
おにぎりを作っている私をみて妹が聞いてきたので、話したら、
 
「ひとりで行かない方がいいんじゃない?襲われたりしたら危ないじゃん」
 
そんなことを言われたわたしは、
そういう恐れは不思議なぐらいまったくなかったんだけど、
それ以外の恐れの大きさ、流れ込んでくる思考の多さに衝撃を受けたのでした。
 
ほぼ無心で絵を描いて、おにぎりも作ったのに、
いざ出かけようとしたら急にものすごくこわくなって、
行くのをやめたい自分もいました。
 
 
これって自分のエゴなんじゃないか?自己満足?
わたしはなにをしようとしているんだろう?
誰にも受け取ってもらえなかったらどうしよう
こういうのおくられたら迷惑かな?
 
 
駅に行くまでこんな感じで、
駅に着き、あのおじいさんに声を掛けようと思ったものの、
駅だから当たり前だけど、人通りも多くて、
 
人に見られるのなんかヤダなぁ
 
とかそんなことも思って、
重いビニール袋を持ったまま、遠くでおじいさんを見つめたまま、
5分ぐらいまったく動けない自分がいました。
 
 
 


 
 
勇気を出しておじいさんに声をかけると、

「ありがとう。じゃあいただきます。
もう1つほしいもの言ってもいい?」

「あなたがほしいなぁ」

そんなことを言ったあと、笑いながら
「冗談だよ、アハハ、今のは忘れて」と。

予想外の答えが返ってきて、
一瞬かたまってしまったわたしだったけど、


おじいさんの明るく朗らかでチャーミングな口調
絶望でも、希望でもない、まっすぐでどこか穏やかな眼差し
素直でピュアな瞳


おじいさんと自分の間に隔てているものはなにもないんじゃないか?
目と目を合わせて会話していると不思議とそんな感覚になって、時間が止まっているようだった。

おじいさんとのたった5分ぐらいの交流で、
むしろわたしの方がたくさんのものを受けとったように感じて、とってもありがたかった。


来る前は、あんなにいろいろなことを思ったのに、
おじいさんとわたしにはお互い笑顔があって、
一期一会で時間にしたらほんのわずかなのに、
今までの人生の中でも大きくて深いなにかを感じた出会いだった。


「受け取ってくれてほんとにありがとう。さようなら」


そう言って立ち去ったあと、
人が行き交う中で歩きながら大号泣してしまったのでした。







なにもない、なにもできない と思っているのは
自分の思い込みで、

自分自身が愛の存在で、
豊かな存在でもあることを知ることを、思い出すことを、
そんな自分の一面と向き合うことを誰よりも恐れているのは自分だった。

なによりも自分のことがいちばん信じられない、
そんな風に思っていたのも。


うまくいえないけど、
とりとめのない感じだけど、

自分の内側に意識を向け続ければ
平和と安心しかないのかもしれない。

そんなことも感じた。


一期一会の出会いに

分かち合う喜びに

どうもありがとう。