公園を歩いていて、
どこからかお花のとてもいい香りがした。
けっこうな範囲にその香りは広がっていて、
わんこが何度もその近くを歩いていたから、
一緒についていったら、
このお花からだ~ってわかって、思わず鼻をつけて嗅ぎまくった。
ずーっと嗅いでいたいぐらいいい香りで、
こんなにいい香りのお花に会ったのは久しぶりだった。
バラのような存在感のあるきらびやかなお花ではなく、
どちらかというと目立たないし、見たこともなかったんだけど、
白い可憐なかわいらしいお花だった。
こんなにいい香りを放っているのがこの花だったというのが
意外に感じられてちょっとびっくりした。
そのお花の香りを嗅いで、
その周辺一帯の空気も感じていると、
この花がこの花であるからこそ、
引き寄せられているものがある。
いい香りを放とうとか、
なにかを引き寄せようとか思っていなくても。
そんなことを感じたのでした。
目に見えなくてどこにいるのかわからなくても、
どこにいても、
その花が咲いているだけで
香りが遠くまで届いている、広がっている。
花がただ存在しているだけで、
香りが(ひとりでに)作用というか、仕事をしている。
そんな風にも感じました。
ちょうど同じ日に、
ラジオで懐かしい曲が流れて、
僕も声には出さないで話しかけてる。
この表現なんかいいな〜
https://youtu.be/bIt8URmE-4A?si=quKAXM0ygeM6WRRH
kuさんのブログを読んで、
いまの自分の状況とリンクしているなぁって感じました。
エゴの解決策ほどあてにならないものはありません。
↑これ実感中。
もうこれ何回目?っていうぐらいやってきているし、
ここだよ~っていうポイントはわかってはいるんだけど、
転生が長い分それだけ手放すのに時間かかるんだろうなって。
今日ふと思ったこと。
なにかをすることでなにかの役に立つ
そんな風に思っている自分がいるけど、
そういうかたちもあるけど、
芳しい香りの花を見た時に思ったような存在の在り方
もあるんだよなぁって。
なにかをすることがいいこと
なにかしないと
そんな感じでこだわっている自分がいるのかもしれない。
いずれまた対面するであろうと思っていた局面というか、
こわさや不安は継続中だけど、
この半年~1年ぐらいかけて定着した1日2回の瞑想習慣が
わたしの中でいろんな助けになっている。
今思うと、1か月前にロータスマントラを受けたのも、
最善な流れでめっちゃ感謝。
いやなとこついてくる感じはするけど、
最善なときに最善なものが出てきている感じはなんとなくしているし、
変容の最中は痛みや葛藤はあるけれど、
わたしにとって、この流れはこの時代、今だからこそ
経験できていることのような気もするから、
おめでたいことなんだろうなって思ったりもする。
声には出さないで話しかけている。
本当にそんな感じだと思うことがあるんだよなぁ。
今日の記事は完全にひとりごとみたいな記事になっちゃいました。
来週の誕生日あたりは富士山ではなく、大井川、寸又峡周辺に行くことに。
めったに行かないところで、
気が遠くなるぐらい運転して(運転してると寝てしまいそうになるの)
山の方に入って行くイメージだけど、
あの近辺なんか異次元っていうか、
独特で久しぶりに行くのも楽しみだな~って
募集中です。