僕なりにしっくり来た。 | May1993-2022アーカイブ

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人生、色んな季節がある。
地球に在る四季とは別に、人生リズムの四季も繰り返し
自分には今[冬]が訪れている。
大寒波というわけではないけど、外に出るにも門の向こうが荒れていて
手にした種は根付く時期でも
まして
花咲く時期でもない。
そんな時期は以前も二度ほどあって
作品を作る事への
[虚無感]と
[使命感]と
[使命感への虚無感]が入り混じる。

自分にとっても一銭の稼ぎもなく
社会にとっても一銭の利益も貢献しない
そんな作品になんの使命感があるんだい?

と、25年。そればっかり毎日ぶつかり筆を走らせて口をパタパタと躍らせる。

やりたい事は山ほどあったけど
もう、やりたい事を可能なかぎりやる時間は無くなって
山の景色だけが遠ざかる。

やるべき事を強く想っていたけど
やるべき事を全部できるほどの時間も無くなって
その中で削り落として
削り落として
それでも最後までやるべき事はどれだ?と、選びとる。

年をとるという事は、日々という岩を削って
その中に光る[それでもやるべき事]を見つける作業なんだと
毎日実感する。

そんな中で
ずっとずっと子どもだと思っていた子たちが
僕が書いてきた作品と[対話]を始めている。

先日、ソウルに持っていった作品の字幕作業で
[血に問いかける]
の翻訳が、韓国語でどうにもしっくり来なくて
何日も何日も悩んで

[血と対話]

にすると、僕なりにしっくり来た。

自分にとっても一銭の稼ぎもなく
社会にとっても一銭の利益も貢献しない
そんな作品ばっかり作ってきたけど
ずっとずっと子どもだと思っていた子たちが
僕が書いてきた作品と[対話]をしだした姿を見ると

[作ってきてよかったな]

と噛みしめる時がある。

血は時に
紙で
木で
岩だ。

金哲義