5月28日(土)参拝
「お尋ねです」に書いていた神社が
お蔭様で早期に判明し、
ついに参拝が叶いました
ありがとうございました🙇
体力が衰える前に伺えてよかったです。
としもじんじゃ
住所:福岡県福津市勝浦943
県道528号線(勝浦宗像線)の西側に位置します。
この日は5月28日で、528ツイています
年毛神社は世界遺産「新原・奴山地区古墳群」一帯とほど近い場所に鎮座しています。新原・奴山古墳群は沖ノ島祭祀を行った古代豪族宗像氏の墳墓群です。
見えてきました。
近づくにつれドキドキワクワク
○○年前、厄払いの御祈祷を受けるため、中学時代の同級生と宗像大社を目指したものの辿り着けず、行き当たりバッタリで飛び込んだ先が年毛宮だったと思われます。
しかし、宗像大社より
こちらに辿り着くほうが難しいと思われ🤣
この日は私にとっての祈念日でしたので、9時に御祈願の予約をしていました。
入口付近の亀さんの像。
こちらの神社は亀さんとのご縁が深いのか、いたるところで亀の像や飾りを見掛けました。
御祈願を受ける前に、海で手足の禊をさせたいただこうと思っていました。
予約時間まで5分程度でしたが、神社境内左手から勝浦浜へ繋がる海岸へ向かいます
今も根本部分は残っていますが、以前は鳥居があったようです。
ワクワクするロケーション
ヤブ椿でしょうか?
海岸へ向かう参道に置かれていた扁額
すぐに海が見えてきました
海に向かって建っているのではなく、陸地に向かって建っています。
鳥居扁額
浜から振り返ったところ
美しいグラデーションの海
感動
年毛宮で伝わる「藻信仰」という珍しい祈願の方法があります。
この地方にだけ伝わる信仰で
砂浜で拾った海藻を2つに分け
1つは自分の分身として神前に捧げ
もう1つは自宅に持ち帰り、神棚などに置いたり
厄除けに持ち歩いたりするのだそうです。
私も藻の塊を一つ拾い、海水で濯いでいるところを波におそわれ…💦
禊をするために海岸へ行きましたが、靴を脱ぐ前に靴ごと禊になってしまいました
これから御祈願で拝殿に上がらないといけないのに焦るワタクシ💦
禊後の足濯ぎ用の真水は自宅から持参していたけど、
社殿周りをホースの水でお掃除していらした崇敬者の方が、靴と靴下を濯ぐよう
お計らいくださったのでありがたく使わせていただきました🙏
靴下は洗って車の屋根へ🧦帰る頃には乾きますように…
手水舎近くの亀さん。
境内入り口にいた亀さんとペアっぽい
社務所の入り口に咲いていた白いツユクサ。トキワツユクサというそうです。
手水舎横の岩に藻が干してありました。
宮司様から聴いたお話によると、藻信仰用の藻は、こちらのを持って帰っていいそうです。自分が禊をしなくても藻がしてくれたという意味なのだとか。
社殿
言い伝えによると、三韓征伐より神功皇后が凱旋された折に志賀大明神、住吉大明神を祀ったとされ、江戸中期に塩田が開かれると、塩竃大明神が合せ祀られたとされています。
御祭神
志賀大明神
∟ 底津少童命
∟ 中津少童命
∟ 表津少童命
住吉大明神
∟ 底筒男命
∟ 中筒男命
∟ 表筒男命
塩竈大明神
境内掲示板にある塩竈大明神の下の猿田彦神が塗り潰されています。
福岡神社誌には鹽津智翁(塩土老翁)の御神名があるので、かつてはそちらがお祀りされていたのだと思われます。
福岡県神社誌(上巻)152頁 ↓138コマ目
波乗り兎
蟇股といっていいかわかりませんが向拝下の真ん中にある彫刻🌊🐇🐇🌊
「波乗り兎」の意匠の由来は、「月海上に浮かんでは兎も波を走るか」(謡曲『竹生島』)によると言われます。更にその元ネタがあるようですが…。
ざっくり八上姫や正八幡大幡主との関連だとは思いますが私は研究者ではないので💦
以前、波乗り兎は大幡主ファミリーの印だと習いました。塩土老翁が御祭神であったことは間違いないと思われます。またしても、志賀大明神(安曇磯良)と大幡主様とのご縁いただきました
違い柏紋
年毛神社の神紋情報は一切なかったので、家紋一覧から調べました。
柏紋は10大家紋の一つのようです。
2024年から一万円札の顔になる渋沢栄一氏の家紋も「丸に違い柏」です。
柏は、新芽が育ったあとに古い葉が落ちることから子孫繁栄の象徴として武家に好まれており、端午の節句の柏餅も同じ子孫繁栄の願いが込められています。
古代では柏の葉にご馳走を盛って神に捧げていたとあり、これに由来して柏が「神聖な木」と見られるようになった。また、「柏手を打つ」とは神意を呼び覚ますことをいいます。柏は神社や神家と切手も切れない縁があるようで、柏紋を最初に使ったのは、神社に仕えた神官だったといわれています。
神が宿る神木とも考えられていたので、神職に携わる家系にも多く使われているそう。なるほど
本殿
境内社(本殿左側)
境内社(本殿右側)
拝殿内
宮司様に、海で靴下を濡らしたことを伝えると素足で上がっていいと言われましたので、しっかり拭いて拝殿内へ🙏「男性は素足のかたも時々いますよ」とあまり気にも留めておられなかったので安心致しました。
御祈願が始まる前、宮司様がご準備をされているときに拝殿内の画像撮影許可をいただきました。チラッと写っているのが宮司様です。今年で御年80歳。
年毛神社を本務とされ、式内社の織幡神社の宮司様でもあられます。
宗像地区にはお宮が150社程ありますが、その三分の一ほどを兼務されています。
先日、足を圧迫骨折されたそうで、杖をつきながら歩かれていました💦とても辛そうではありましたが、今はリハビリも兼ねて敢えて動いたほうがいいと、お手伝いなどは遠慮されました。
亀さんのオブジェ
海上神幸「みあれ祭」の奉納画
楠木正成・正行父子が訣別する逸話の楠公父子「桜井の別れ」の奉納画
年毛神社との関連はわかりませんが、楠公と兎は関連するようです。
こちらの神社はとにかく←ダジャレ
兎と亀とのご縁がありそう。
「とにかく」を漢字で書くと、「兎に角」ですね。
語源には実は兎だけでなく、亀も関係します。
これは「兎角」を真似た当て字で、仏教語の「兎角亀毛」からと考えられます。
兎角亀毛の意味は、うさぎに角や亀に毛は存在しないことから、現実にはあり得ないもののたとえとして用いられたり、実際に無いものを有るとすることをいったもの。(語源由来辞典より)
もしかしたら年毛神社は凄い神社さんなのかも?と勝手に睨んでいます。
こちらの神社は崇敬者も多いと思われ、この日も遠方からお掃除などのボランティアに3名の方が来られていました。
御祈願は「神恩感謝」でお願いしました🙏
海岸で拾った藻をお見せしたら「あら、いいのを採って来たわね」と、一緒に神前に上げてくださいました。
こちらの御祈願(御祈祷)は太鼓を打ちながら祝詞を読まれるという、一風変わったスタイル。リズム感がないと無理です。ドラムを打ったことがない人がやると、手と足が一緒に動くと思うのですが宮司様は祝詞を奏上しながら太鼓を器用に打たれるのです。
これをやるのは自分だけだと仰っていました。普通やろうと思っても出来ないと思います。習得されるまでにかなりの時間を要したのではないでしょうか。
御祈願後は色んなお話をしてくだいました。
14年前に亡くなられた神職の旦那様との馴れ初めは、とても素敵なお話でした
「今でも主人は私の近くで守っていてくれている、姿は見えなくてもいつも感じる」と仰っていました。
現在の宮司様は2代目で、実のお父様が先代だそうです。
元々は栃木県の唐澤山神社の出ということで、そちらがご先祖様とのこと。
また、ブロ友さんから教えていただいた年毛宮への道順が載ったサイトによると
永島文書というものの存在がありました。宮司様は「元宇佐八幡、年毛神社の伝承云々」のお話は御存じないそうです。
「そんなことが何かに書いてあったのですか?」と不思議そうで、内緒にされているとかそういう風でもなさそうでした。
【参考記事】
また、年毛神社について秘密にしておかなくてはいけないことがあるのか(神社の紹介をしてはいけないなど)尋ねましたら、そのようなことは一切ないと仰っていましたので、今回このようにブログで紹介した次第です🙇
年毛神社は境内一体が懐かしい雰囲気といいますか、心がホッと落ち着きます。
初参拝だったとしてもそのように感じるかたが多いそう。
また来たいと思う、そんな神社さんでした。
御朱印
年毛神社の宮司様は沢山の神社を兼務しておられるので、他の神社の御朱印もいただきました。この日私がいただいたのは、年毛神社よりも2ヶ月前に伺っていた織幡神社と依岳神社の御朱印です。
鳥居
帰るときに見付けました。まだ新しい鳥居です。
※こちらからは車で行けません
社号標
年毛神社はこの辺りの総鎮守様のようです。
「一生(一升)幸せ!一生(一升)安泰!」と、宮司様が日本酒のお下がりをくださいました。未だに開けていません。大事にいただきたいと思います。
年毛神社へ参拝し、気持がスッキリ致しました
「いつまでもお元気で」「また伺います」と宮司様とお約束し、年毛神社を後にしました。
ご覧いただきありがとうございました。
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