能登半島地震発生から早1週間が過ぎようとしています。
私は災害現場に赴き状況を調査・研究する仕事をしているので、
従前ならばすでに現地入りし様々な場所を調べているのでしょうが、
今回は道路状況等を考え、遠くから静かに見守っています。
救助・支援活動に関係しない人間がむやみに足を踏み入れると、重要な活動の妨げになってしまうからです。
連日テレビ等で現地の状況が報道されていますが、断片的に映る子供たちの姿を見て、心を痛めている方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
早く平穏な生活に戻してやりたいと願わずにはいられません。
大災害が子供の心に与える影響は、想像を絶するものがあるでしょう。
状況によってはカウンセラーなどに相談し、適切な方法をとらないと、今後の成長に支障を来すかもしれません。
だからと言って、災害の現実から強引に隔離するのも問題があると思います。
子供たちはやがて大人になります。
もしかしたらもっと困難な状況が巡ってくるかもしれません。
そのとき、今学んでいることが役に立つのではないでしょうか。
子供たちは大人が想像するよりも多くのことを現実から学んでいくはずです。
今を生き抜くことはもちろん最優先ですが、
その延長上に将来を見据えておくことも必要だと思うんです。
これまで数々の被災地で様々な子供の姿を見てきました。
ずっと怯えたままの子もいるかと思うと、
避難所で大人の手伝いをしている子もいました。もしかしたらそうすることで気を紛らわしているのかもしれません。
子育ては大変です。その家庭だけの課題とするのではなく、できれば周囲の人が少しずつでも支援していただければ有難いのですが。
子供とは、私たち共通の未来ですから。
以下は、熊本地震(2016年)の現地調査結果をまとめた拙書「熊本地震に何を学ぶか」中の一文です。
子供への配慮は……
これは、避難所に限ったことではないのですが、子供への配慮を再考させられる場面がいくつかありました。
当然のことながら表情が硬く、うつむき加減の子供が多いのですが、一方では何事もなかったかのようにはしゃいでいる子もいます。その子の性格、家族関係、どのような体験をしたのか、家の状況、……。様々な要因で、子供の反応は変わってきます。
暗闇で前触れもなく激しい揺れに襲われることは、大人でさえ恐怖を感じます。ましてや成長期の多感な世代は、大人が思っている以上に深い傷を心に負っているかもしれません。外見だけで判断せず、振る舞いやちょっとした表情の変化に注意する必要があると思います。
だからと言って、腫物に触るような扱いは逆効果を生みかねません。大切なことは、早く「日常」を取り戻してやることでしょう。それは、必ずしも自宅に戻れる、家を建て直す、といったような物理的なことだけではなく、日常の会話、日常の行動、日常の喜怒哀楽などに着目すべきです。
グランメッセ熊本で避難状況を調査していたとき、芝生の植え込みでボールを蹴って遊んでいる数人の子供たちを見かけました。夢中になってボールを追いかける子、得意そうにドリブルで駆け抜ける子、いずれの子も生き生きとした表情をしています。まるで地震があったことを忘れたかのような空間がそこにありました。そこに「日常」が存在していたのです。
「このような時に遊んでいるな」と叱る人は誰もいません。このような時だからこそ、子供が遊んでいる姿を見て、多くの人がほっとすることができたのではないでしょうか。
子供の日常は、遊び、学び、そして、そうした体験を家族と共有することで成り立っていると思います。非常時だからと言って、そうした要素を取り上げないでいただきたいのです。
子供の笑顔は周囲の雰囲気を明るくします。小学校高学年くらいになったら、ちょっとした避難所の作業を手伝ってもらうのもいいのではないでしょうか。実際は足手まといになってしまうかもしれませんが、そうした体験を通して災害というものを学び、負の記憶を自らの力で正へと転換していくのです。
※教育や心理が専門外の者が勝手な意見を述べてしまい申し訳ありません。もし不快に思う方がいらっしゃるなら謝ります。