我疑う、ゆえに我あり | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

時々家に、必要な郵便物が届く。それは役所からの呼び出しであったり、公共料金に関するものであったり、そういった生活する上で無視できない諸々の文書だ。しかし俺はしばしばそれを見落としてしまう。なぜならそれがその何倍もの不必要な郵便物、広報やらチラシやらに埋もれてしまうからである。

 

そして思うのだ。ネットにおける情報の取捨選択は口で言うほど易くない、というより事実上不可能なのではないか。ネットに飛び交う電子情報の量は、郵便物とはまるで比較にならない。ある1件の必要な情報があったとして、それを覆うように何万件もの不必要な情報が散在していたら、人間の脳が有する情報処理能力で、一体どうやってそれを見つけ出せば良いのだろうか。

 

我疑う、ゆえに我あり。それが情報飽和社会において、見えざる悪意から身を守るための唯一の術なのではないかと、俺などは考えてしまうのである。