結論から言うと、ネット普及後の個々人の対話量はあまりに度を越えていると思うのだ。
大昔に俺は考察したことがある。なぜ2人の飲み会よりも3人、3人の飲み会よりも5人の方が断然盛り上がるのかと。今、平面上に2点を取ると、それらを結ぶ直線は1本引くことが出来る。そして3点ならば3本、5点ならば10本の直線が引けよう。このようにn個の点同士を結ぶ直線はn(n-1)/2本存在する。ではこの点を飲み会の参加者一人ひとり、それらを結ぶ直線を対話量の最小単位の対話線と考えたらどうだろうか。飲み会においては参加者が増えるごとに、乗数的に対話量が増えることが分かる。
しかしこの仮説は、その後友人の指摘を受けて必ずしも現実的に成り立つものではないという考えに至った。なぜなら飲み会の参加者同士には物理的な距離が存在し、それが対話を阻害するからだ。例えば20人の大宴会においては理論上は190本の対話線が存在するが、実際問題として席が離れた者同士が密に対話することは極めて難しいだろう。
けれどこれが、ネット空間であればどうだろうか。そこには参加者同士の物理的距離も参加人数の空間的制限も存在しない。仮に100人の会合であれば4950本の対話線が、そして1000人の会合であれば理論上は499500本の対話線が存在することになる。その対話量は5人の飲み会のざっと5万倍である。
より多くの人と触れ合いコミュニケーションを取ることは良いことである、ネット導入以前の道徳の教科書にはそのように書かれていたことだろう。それがある程度までであれば、俺も大いに賛同できる。しかしネットを介したコミュニケーションの対話量は人間の許容限界を超えていて、それがモラルハザードなどの問題の一因となっているのではないだろうか。