型破りなアニメ創作法!悪趣味を極めて芸術に昇華させる!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

最近ネットTVで見知ったアニメで、貴志祐介原作『新世界より』なる作品がある。

文明崩壊より1000年。わずかに生き残った人類は、ハダカデバネズミが知性を持つまでに進化した「バケネズミ」を隷属させ使役することで、細々と社会を営んでいた。しかしやがてバケネズミは反旗を翻し、彼らと支配的地位にある人間との抗争が始まる。



さてこの『新世界より』、一言でいうととにかく“悪趣味”である。まず人型に進化したハダカデバネズミ、これが他作品のいかなる妖怪、魔獣、魑魅魍魎と比較しても類がないほどに見た目が醜悪で気味が悪い。

それだけでも嫌悪するには十分なのだが、加えてストーリー設定も救いようがない。異端児の誕生を恐れ、子供たちを不適合と見なすや殺処分する大人の監視教育。反乱因子と見るやバケネズミを村ごと虐殺する人間たち。

そして極めつけは最後のオチ。バケネズミはネズミが進化した種ではなく、かつて人間に人体実験を施し生成したものであったのだ。もう観ていてムカつきが収まらない。気分の悪さ、制作者側に対する怒り、ダブルでだ。

しかしこの『新世界より』、なぜだか片時たりとも目が離せない。怖いもの見たさ、いやキモいもの見たさだろうか。悪趣味極まりないにも関わらず、それが無性に病みついて、気付けば週末一挙放送を一気見してしまった。

誠に不本意ながらも、俺は認めざるを得まい。「『新世界より』、実に見応えがあって面白かった」。



漫画やアニメといった、世の中全ての創作物。その中にひと欠片でも“悪趣味”が混入していたら、ただそれだけで作品そのものが嫌悪対象にもなりかねない。

けれどひと欠片どころか作品全てが“悪趣味”で構成されていたとしたら、そしてそれが意図的に計算し尽くされたものであったとしたら。一歩間違えれば不快極まりない駄作、しかし時にそれは禍々しく毒々しい光を放つ、ある種の芸術へと昇華されよう。

しかし“悪趣味”を極めて芸術に昇華させる、そんな型破りな創作法、果たしてこれまでに前例があっただろうか。ああ、あった。楳図かずおだ。