秀才に体育会系、文化系から不良に至るまで。ただ同じ地区というだけで、ありとあらゆる人種がカオスに集う公立中学校。
仮に1学年150人~200人程度であるとしたら、その中で校内テスト10位以内に入れば大したものだ。まして学年1位ともなれば、それは生涯胸に誇るに値する勲章であろう。
しかしだ。間違っても学年2位だけにはなってはならない。
学年トップを”光”とするならば、学年2位はいわば”闇”。それは決して陽に照らされることのない、暗黒の境地である。
中学時代、校内テストにおいて俺は万年学年2位であった。
そして学年1位を独走していたのは、中学の同窓であったA女史。俺は3位以下に圧倒的大差をつけながらも、どうしてもA女史に勝てなかった。
悔しさは嫉妬へ、そして嫉妬は憎悪に変わる。今の俺の屈折した価値観や性格は、当時基盤が形成されたと言っても過言ではない。
さらにA女史は生徒会長にして、いわゆる「完璧超人」だった。
運動部においても実績を残し、書道、絵画その他諸々のコンクールで入賞の常連。そんな彼女に対し、教師たちの接し方もさながらVIP待遇。
片や俺は、勉強は出来ても校則違反常連の大問題児。A女史を出身中の”光”とするならば、俺はまさに学校の”闇”そのものだった。
そんな俺とA女史、仲良くしろなんてのが到底無理な話だ。
ある時耳にした噂話。A女史が俺のことを嫌い、俺の悪口を拡散しているというではないか。その情報に信憑性はゼロ。しかし俺の常日頃のA女史に対する劣等感が爆発した。
俺は周囲の友人たちを使ってA女史の悪口を拡散、結果A女史を登校拒否寸前にまで追い込んでしまったのだ。
そんな軋轢を残したまま、俺とA女史は中学卒業。それぞれ別々の進学高へと進んだ。
あれから20年。少しは大人になった今になって思う。俺はA女史を嫌ってなんかいない。むしろ誰よりも彼女の才能や努力を認めていた。
ただどうしようもなく、A女史という”光”が眩しかったのだ。
もう二度と会うことはないであろうA女史。しかし万が一にも再会することがあらば、喫茶がてらにあの頃の謝罪と思い出話でもしてみたいものだ。