神は言われた「光あれ」、こうして光があった――――手塚治虫が漫画家デビューした1946年をその開闢と定めるならば、日本のアニメ・コミック史は今年でちょうど70年の節目を迎える。 そして俺が思うに、その歴史においては3度の転換期があった。「トキワ荘革命」、「ジャンプ革命」、そして「アキバ革命」である。よって今日は、それら転換期に沿って日本アニメ・コミック70年史を振り返っていきたい。
(1)トキワ荘革命(1950年代)
日本初のテレビアニメは、1963年に放送された『鉄腕アトム』である。しかしそれは技術上の転換期であって、文化史上のそれではない。文化的な意味でのアニメ・コミック史の原点を求めるならば、やはり前述した手塚治虫のデビューまで遡らなくてはならない。
氏はそれまで紙芝居を模した「赤本」が主流であった日本の漫画文化に、初めて高度な物語性を持つ「ストーリー漫画」を確立させた。そして手塚氏を慕い、氏が居住していた「トキワ荘」を訪ね集った新進気鋭の若手漫画家たちの中から、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、赤塚不二夫、石ノ森章太郎など、後の漫画界を牽引する大物作家が続々と誕生、日本のアニメ・コミック文化の土台が築かれた。
(2)ジャンプ革命(1980年代)
1968年に創刊された週刊少年ジャンプは、1980年代に入り週間発行部数600万部を越え、一躍日本アニメ・コミック文化のメインストリートに躍り出る。以降同誌からは、『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『ONE PIECE』、『NARUTO』など、数々の人気漫画作品がテレビアニメ化され一大ブームを巻き起こす。
また鳥山明原作『ドラゴンボール』は、1990年代後半になって欧米各国で高い支持と評価を得る。そして同時期にやはり世界的脚光を浴びた『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』など宮崎駿の監督アニメ映画作品らとともに、日本のアニメ・コミック文化をグローバル産業として開花させた。
(3)アキバ革命(2000年代)
2000年代に入り、秋葉原発祥の娯楽文化、いわゆる「オタク文化」の再評価、一般市場化が起こる。その要因として、IT革命を背景としたアニメ、ゲーム、インターネットなどのコンテンツの急速なイノベーションが挙げられる。これにより秋葉原は日本文化の中枢地となり、アニメ・コミックはもはや単なる子供の玩具としては語られなくなる。
さらに『涼宮ハルヒの憂鬱』、『ゼロの使い魔』、『とある魔術の禁書目録』、『化物語』など、ライトノベル原作アニメが新たに定着、これは「大人も楽しめるアニメ」から、「大人が楽しめるアニメ」への完全なる移行と言えよう。また1990年代以降、一般向け人気アニメは10年以上長期放送されるのが通例となっていたが、2000年代になり、これらとは一線を画した「深夜アニメ」が1クール交代で数々と登場、アニメ・コミック文化の細分化、多種多様化をもたらした。
◆日本を代表する漫画家といえば?
(「gooランキング」より)
1位 手塚治虫 (代表作/鉄腕アトム) 10751票
2位 藤子・F・不二雄 (ドラえもん) 4715票
3位 鳥山明 (ドラゴンボール) 3704票
4位 尾田栄一郎 (ONE PIECE) 2212票
5位 藤子不二雄A (笑ゥせぇるすまん) 833票
6位 井上雄彦 (SLAM DUNK) 610票
7位 松本零士 (宇宙戦艦ヤマト) 517票
8位 あだち充 (タッチ) 506票
9位 青山剛昌 (名探偵コナン) 457票
10位 赤塚不二夫 (天才バカボン) 443票 ※以下略
今から半世紀ほども前、先人たちは口々にこう言った。「漫画を読むと頭が悪くなる」。当時の誰が、今日のアニメ・コミック文化の華々しい飛躍を予測し得ただろう。 我々は『サザエさん』、『ドラえもん』を観て懐古に浸りつつ、数多の新作アニメ・コミック作品で斬新を体感出来る。「失われた20年」。されど日本をおいて他に、世界の一体どこにこんな贅沢があろうか。