AIとはArtificial Intelligenceの略、日本語訳すると「人工知能」である。ひと昔前ならば想像上の産物であったものが、今では当たり前のように生産されている。しかしこのIntelligence、「知能」という語をどのように解釈すべきか。その如何によっては、俺は強い危惧を感じるのだ。
「知能」を「情報処理能力」と解釈するならば、そこに倫理が介在する余地はない。なぜなら科学者は、ただ高性能の計算機を作っているに過ぎないからだ。しかし「知能」を「感情」と解釈するならば。我々はとんでもないものを生み出そうとしている。たとえ人工物であれ、それは「心」そのものだからである。
決して遠くない未来、我々は人間と同等の「感情主体」を作ってしまうかも知れない。それは人格をも有し、人権主体にすらなり得る存在だ。その倫理上の是非を、科学者の知的好奇心に一任してしまって本当に良いのだろうか。