科学と疑似科学の違い、それは単なる知識量の個人差なのか!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

「疑似科学」とは、誤った理解に基づき用いられる科学のことである。疑似科学は識者にとって侮蔑の対象であり、時にオカルトの類と同義とされる。しかし俺には分からない。何が「科学」で何が「疑似科学」なのか、その境界とは一体何なのであろうか。


俺は文系学部卒ながら、大の自然科学ファンである。ブログにもしばしばサイエンス関連日記を書いている。それは俺にとって紛れもなく科学であり、また俺と同等の識量を持つ者が見てもやはり科学であろう。しかし俺より識量に長けた者がそれを見たら、果たしてどう認識するであろうか。識量に劣る俺が展開する考察は疑似科学そのものであり、それに対して俺は、自身の論が科学であると主張する術を持ち得ないのではないか。


しかしながら、もし疑似科学を「自身よりも識量が劣る者が用いる科学的手段」と定義するならば、これはいささかやっかいなことになる。なぜなら究極的に言えば、世界で一番識量に長けた者が有する理論展開のみが科学であり、それ以外の全てが疑似科学となってしまうからである。


プロアマ問わず、世界には数多の自然科学嗜好家がいる。そして当然のことながら、その識量にはそれぞれ個人差があろう。しかし知識量や思考手段の多少を以て、自身より劣る者のそれを疑似科学と嘲笑するという取り組み姿勢は、俺はあまり感心しない。