以前、ある敬愛するブロガーさんが、「見栄」の在り方とその是非について論じていた。他者を貶めてまで自らを引き立てる見栄は、容認しがたい愚行であると。
俺が思うに、もし「許される見栄」と「許されざる見栄」があるとしたら、前者は自身の劣等を隠す為の見栄、後者は自身の優越をひけらかす為の見栄となろう。
しかしながら、優越や劣等はあくまで相対的概念なので、例えば「私今まで3人にしか告白されたことがない」と言ったように、ある人が聞けば「許される見栄」も、別の人が聞けば「許されざる見栄」となるのだろう。
いずれにせよ、他者との良好な関係構築にあたり、見栄はあまり望ましい結果はもたらすまい。