もし前園が世に出るのが10年遅ければ、カズ、中田、本田に並ぶレジェンドになっていた!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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今更ではあるが、最近テレビにて、
元日本代表MF前園真聖をやたらとよく目にする。

彼が今日に至るまでの失態、紆余曲折は周知の通りである。

しかしたとえどんな形であれ、前園まさかの再ブレイク。
”ゾノ世代”まきしまとしては何とも嬉しい限りだ。



96年アトランタ五輪、前園は五輪代表キャプテンとして、
まさに孤軍奮闘でチームを牽引。

そしてブラジル五輪代表を撃破する大金星。

当時日本代表不動のエース・FW三浦知良にも代わる、
日本の若き新エースとして一躍脚光を浴びた。



しかし我々が日本A代表としての、
前園の躍進を目にすることはついぞなかった。

さらに時代を遡り、90年代前半。

日本代表の中盤の絶対的支配者として君臨していたのは、
言わずと知れたMFラモス瑠偉だ。

そしてラモスが日本代表を引退。
暫定的にラモスの後継を担ったのは、MF名波浩である。

ポストラモスの必須条件、当時日本代表の攻撃的MFの役割、
それは攻撃の起点を作る”パサー”であった。



けれど前園はいわゆる”パサー”ではない。
自ら切り込み得点を狙う”アタッカー”である。

しかしながら当時の日本A代表に、
アタッカー前園のポジションは存在しなかった。

日本代表で思うような実績を残せず、くすぶる前園。

そしてパサーとしての能力に長けたMF中田英寿が台頭、
お役御免とばかりに前園は代表を外れる。

その後前園は、選手として見る影もなく没落し引退した。



しかし中田は、単なるパサーではなかった。
自ら攻め入り、ゴールを狙うことも出来る選手であった。

まさに中田の能力を最大限に活かすために、
日本代表が新たに取り入れたポジション。

それが今日、日本代表主流のスタイル”トップ下”である。

その後、よりアタッカーとしての能力に長けた、
MFが中村俊輔が登場。

先駆者中田を守備的MFの位置に押し下げ、
新たにトップ下のポジションを奪取した。

そして現在、ゲームを組み立て自ら得点も狙う万能選手、
それがFW本田圭佑でありMF香川真司なのである。



今や日本代表MFの役割は単なるパサーにとどまらず、
ドリブラー、ゴールゲッター、まさに多岐に渡る。

俺はつくづく思うのだ。

もしアタッカー前園が世に出るのが10年遅ければ、
カズ、中田、本田と並ぶレジェンドになっていただろう。