ネタが消えちゃった | 無職おへんら〜のお家で遍路日記〜失われた志の道を探す旅編〜

無職おへんら〜のお家で遍路日記〜失われた志の道を探す旅編〜

ママチャリ遍路に出て、三坂峠で大前転転倒事故をやらかし、左手首を粉砕骨折しました。現在は自宅でリハビリしながら自宅でお遍路中(^_^;)
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南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛

無職おへんら〜光陰です(`・ω・´)ゞ

今日は2日くらい前からネタを寝かせていたんだけど、ネタ元となっていたYouTubeの動画が削除されたのか、見つからなくなった。。。

そげなわけで、新しいネタを用意することもなく、、、

【お家でお遍路】
第78番郷照寺
道興寺から郷照寺へ向かう途中でぜひ一鶴に寄っていただきたい(寄りたかった)!!お車の方は駐車場のある土器川店が便利。電車なら丸亀駅前の本店ね✌
境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が最高らしい(見たかった)!!

第79番天皇寺
保元の乱により讃岐へと配流された崇徳天皇と空海御手彫阿弥陀如来の出会いは、空海中興金華山妙成就寺摩尼珠院を崇徳天皇永代別等職へと至らせることとなり、崇徳天皇御崩御の後、寺院境内に崇徳天皇社が造営され、後嵯峨天皇による永代別等職の詔を賜り、崇徳天皇供養の寺、崇徳天皇寺と呼ばれるようになった。

第80番国分寺
江戸初期の藩主・生駒一正が、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田一町(ちょう)と引き換えに手に入れたが、城へ運びこむのに大変な苦労をし、しかも、城についた途端音がならず、城下では悪病が流行した。そして、自身も病に倒れた 一正の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣いた。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか少人数でも軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が有名。

第81番白峯寺
保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇は、都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられ、御遺詔によって当山稚児嶽上に荼毘し、御陵が営まれたが、都では異変が相次ぎ、代々の天皇、公卿、武将も恐れ崇め奉り、御府荘園を寄せて菩提を弔い、法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して慰霊の誠を尽し、特に第100代の後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し尊崇の意を表した。また仁安元年、上皇と親交のあった西行法師が慰霊の為に御廟に参詣した際に上皇の霊と歌を詠み交わした話は上田秋成作『雨月物語』の伝説でも有名。

第82番根香寺
「ねごろじ」で変換すると先に「根来寺」が出てくるのは岩出市民として嬉しいが,そのためお遍路ブロガーさんのなかにも「根来寺」と誤変換されている方が多い。宇和島市のとはまた違う牛鬼にも会いたかったな。