2015沖縄⑨遺骨収集の日の朝 | ランゴワンの地図

ランゴワンの地図

 2009年の8月、家の仏壇の引き出しから一枚の古地図を発見しました。地図の中央付近には、「ランゴワン」という地名が記してありネットで検索してみると、1942年1月11日、旧日本軍が初めて落下傘による降下作戦を行った、インドネシアの村の名前でした。



平和祈念公園の駐車場から、朝の7時半ごろ撮影しました。 清々し朝日です。 早起きした甲斐がありました。



「戦没 沖縄県知事島田叡・沖縄県職員 慰霊塔」 と書かれた碑です。



「沖縄県知事島田叡・沖縄県警察部長荒井退造 終焉之地」 の碑です。



碑の後ろに、島田知事と荒井警察部長が最後に留まった自然壕がありました。



「沖縄県知事島田叡・沖縄県警察部長荒井退造 終焉之地」 の隣に 「栃木の塔」 があります。 警察部長荒井さんは、栃木県の宇都宮出身なんですよ。 私も二ケ月前までは知りませんでした。



摩文仁の丘霊域園路の突き当りの展望台から何気に撮ったのですが、遺骨収集を行った場所は正面の切り立った崖の下あたりでした。



摩文仁の第32軍司令部壕です。 この階段を降りて行くと「師範健児の塔」へ行けます。 海軍関係なら怖くないんですが、何となく陸軍関係の施設は怖いです。



摩文仁の第32軍司令部壕の入口です。 「昔は柵がなく中へ入れ、100mぐらい中に入ってから出ようとしたら遺族の方が壕の前でお祈りを始めたので、驚かしてはいけないと20分ぐらい出ないで待っていた」と、東京から遺骨収集に来られた50代後半の方が言ってました。



勇魂の碑です。 私の記憶が正しければ、左側の碑しか30年前はなかったように思います。 柵もなかったし、だいぶ土を盛って道路を整備したように思います。




黎明之塔です。 30年前もあったのでしょうか。 記憶にないんですよ。 




      時計が8時を過ぎたので、遺骨収集の集合場所へ戻りました。