こんにちは うぐいすです
今日は水子供養についての私なりの考えを書いてみます
私は供養の専門家では無いので エネルギーの視点からの意見です
このテーマは一度は書かねばならないと思っていたのですが
私の表現力と国語力に自信が持てなかったので 保留していました
勿論 今でも自信は無いのですが 何故か気になるので頑張って書いてみます
私はこのエネルギーの仕事をする前迄は お寺等で水子供養のお参りの場所には
余り近づか無い様にしていました。
何か変に重い感じがして近づき難かったからです
そして今 エネルギーを感じられる様になって分かった事は
その場(水子供養)の波動はその辺り一帯と比べても格段に重く澱んでいます
なので私は浄化に行った時には 必ず水子供養の場所には
より多くの癒しを降ろします
この波動の重さはどこから来るのか?
よく考えました 亡くなった子供の怨念なのか・・・
この子の母親になる予定だった女性は
殆どの場合 この事を他の人に話さない様です
この経験は それ程に残念で辛い また悲しい出来事だからなのでしょう
エネルギーの観点から見ると 辛い経験程
大きく重いものになるので開放して欲しいのですが
人に語る事なく 胸の奥に負の財産として溜め込まれていきます
そして この事実を思い出す度に この財産は増えて行くようですが
お寺などに行った時に水子供養をする事等で その想いの一部は減らせる様です
減らすといっても お寺の水子供養の場に降ろしていくという事なので
一度産まれた 感情に隠されたエネルギーは いつまでも残っていて
周りに環境に影響をするようです
こんな事を書けばお寺さんに怒られるかも知れませんが・・・
お寺の功徳の力は手助けにはなっても救いの決定打にはなりません
落としていく量の違いは その供養をする人の祈りの強さと真剣さにあります
「専門家のお寺さんに頼んだから と気を抜いていると持って帰りますよ
水子供養の場の波動が重く澱んでいるのは
この時に落として行った後悔や悲しみの思念のエネルギーによるもので
産まれ出ることの無かった赤子のものではありません
よく聞く言葉ですが 「子供には何の罪もない・・・私が全て悪い
・・・あの時にこうしていれば・・・」
また 怒られるかも知れませんが・・・
本当に 生まれて来る子供に罪は無いのでしょうか?
このテーマを私は子供の頃に何時も考えていました
人間は平等だ! 一つの命は地球より重い! あなたは何よりも尊い!
綺麗な言葉は 世の中の精神修養の場でよく耳にしますが
もう耳にタコが出来ました
人間は産まれながらに不平等です!(これは 自分の容姿をも含む環境の事)
それぞれに 学ぶ目的があっての不平等だと考えているので「財産」
と思っていますが
人間は産まれた瞬間から様々な差別があり 何かそこにカルマがあるのではないか?
そう考えて行くと この辛い経験をした女性が何も 子供の分までカルマを
背負う事は 何処か 間違っている様な気がしませんか・・・
その子供には また別の意味での必要な計画と言うか通るべき道なのでは?
明日また 考えて続きを書きますね
読んで下さっているあなたも 出来ればこの問題を考えてみて下さい