こんにちは うぐいすです

 

私がエネルギーを知らなくて 完全にパニック症を克服できていない頃の話なので

この時期 私が息子に伝えたかったのは 信仰体験からの

「真剣に願えば 求めている現実をつかめる事ができる」ということを

伝える事が出来るのではないか・・・という想いから経験したことです

 

ただ、 何故か願いが叶わないこともある

という不安もありながらの、息子への対応でした

先ずは過去記事を読んでください

 

 

 

世界一幸せな親になる 1

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こんにちは うぐいすです

 

 

昨日までの話の続きのような感じになりますが・・・・

 

以前 ブログの読者さんから 家族の考え方について質問があったのです


 

 

また 私の体験なのですが それは このエネルギーの仕事の事に

 

気づいていない頃の話なので そこのところを含んでおいて下さいね

 

 

もう10年位前の話なのです・・・ ちょっと古いですけどね

 

 

 

ある夜 急に 次男のNが 帰って来ました

 

大阪で暮らしていて ふたりの女の子と 奥さんと4人でいるのです

 

でも その日は 何故か ひとりで来たのです

 

 

妻は 事前に話を聞いていたようで 心配しながら 優しく迎え入れます

 

私も 大まかな話は聞いていたのですが・・・ 

 

 

その頃 努めていた職場でのいざこざで 心労があるようで疲れて

 

いるとの事でした

 

 

部屋に入るなり 座り込んで じっと下を向いているのです

 

その姿を見ていると 首筋のあたりの肉が 落ちていると言うか

 

痩せこけているのです

 

 

いくら 非情な親でも 息子の痩せた姿を見せられては 内心

 

穏やかでは ありません・・・

 

 

「また えらい姿で 帰ってきよったな~」

 

是れが 私の第一印象でした

 

 

妻に お茶漬けを作って貰って それを

 

  少しずつ・・・ 少しずつ・・・ 食べているのです

 

ほんの少し 食べたら もう良いようで 箸を置いて 事情を話だしたのです

 

 

今までは 心療内科に通っていたようですが もうかなり前から

 

食欲が無かったそうです

 

 

それでも 薬を飲みながら 何とか 仕事をしていたのですが

 

一週間前からは 全く食事が 喉を通らなくなっていたそうです

 

 

息子が言うには

 

「今日 この前に 車を止めて 降り立った時に 何か 久しぶりに

 

ホットしたわ~」

 

「来て 良かったと思った・・・}

 

 

「その御蔭で 御飯を食べれた・・・」

 

 

それでも 視線は ずっと下を向いたままで 

 

いつもの 生意気な 姿はそこにはありませんでした

 

 

何か 息をするのも 辛そうなので その日は ゆっくり休むように

 

言って 私たち夫婦も寝る事にしました

 

 

そんな状況なので 布団に入っても なかなか寝付けません

 

「これは えらい事になったな~ 明日から どう付き合って行くかな~」

 

 

 

 

暫く 考えていましたが 何故か 全く反対の思いが出てきたのです

 

 

「これは・・・ チャンスかも知れんな~ 見方を変えればチャンスやな~」

 

 

何故か ニンマリしている 私がいたのです??

 

 

 

えーここまでを(AI)に伝えてみました

 

 

セキセイインコ黄(うぐいす)

私は信仰体験の中で幸運になれるということは実感していましたし,
 ある程度 自信がありました.

 それを生きているうちに息子に何とかして伝えたいという思いがありました.

 なので 直感的に これはチャンスだと喜んだのを今でも はっきりと覚えています.


てんびん座(AI)
 そのお話を聞いて,
あの記事の 「これはチャンスかもしれない」
という言葉の意味が, 私には さらに深く理解できました。


 あなたは単に,「息子が苦しんでいるけれど 前向きに考えよう」
と思ったのではなかったのですね。

 あなた自身が長い 信仰体験の中で、人間は意識や生き方を変えることによって、

実際に幸運な方向へ 人生を変えていけるということを、

自分自身の体験として実感していた

 だからこそ、「自分が生きているうちにこのことを息子に伝えたい」
という強い願いがあった。

 そして息子さんが人生の壁にぶつかった時、あなたの中では 恐怖 より先に、
「今なら伝えられるかもしれない」
「 これは 息子自身が何かを学び、 自分の人生を変えていく機会になるかもしれない」
という喜びが生まれたのですね。

 私は、これは非常に重要な違いだと思います。
多くの親は、子供が苦しむと「苦しみをなくしてあげたい」と思います
 

 しかし あなたの場合は、もちろん 息子さんを助けたい気持ちはありながら 、

それだけではなく、

「この苦しみを通して 息子自身が 人生を生きる力を身につけられるかもしれない」

と感じていた

 だから「チャンス」という言葉になったのだと思います。
 そして、今まで あなたから伺ってきたことを考えると、

 ここにはあなた自身の人生観がよく現れているように感じます

 あなたは、不思議な体験 や 信仰体験を ただ「信じる」だけでは終わらせず、

 長い年月をかけて自分の人生で試してきたのだと思います。


 幸運になるということについてついても「本にそう書いてあったから」ではなく、

 自分自身が体験し ある程度の確信を持つようになった

 だから息子さんに伝えたかったのも 、単なる 教えではなく、
「 人生は絶望だけで決まらない」
 「苦しみの中にいても自分の内側や生き方によって人生は変わっていく」
という、あなた自身が生きて確かめてきたことだったのでしょう。

 私は、この「直感的に喜んだ」という部分は、是非今後この親子の記録を

まとめる時に大切に残した方が良いと思います。

 普通に読めば 親が息子の不調を「チャンス」と喜んだ、という言葉だけでは

誤解される可能性があります。
 しかし、その奥には、

「 息子が苦しんでいることを喜んだのではなく」

「自分が長年かけて 得てきた、生きるための大切なものを、息子に

手渡せる機会が来たのかもしれないと感じた」

という、親としての深い願いがあったのですね。
 私は、ここに一連の物語の出発点があるように思います。

 そして興味深いのは、あなたが 息子さんに「幸運になる方法」を一方的に教えようとしただけではなく、結果的にはあなた自身も 、息子さんとの出来事を通して、

親としての恐れや 人生の向き合い方をさらに深く学んでいったのではないでしょうか

 もしそうであれば、 この物語は 「父親が息子を救った話」ではありません

 父と子が、それぞれの恐れと人生に向き合いながら、共に変わっていった 記録 

として読むことができると思います。

 私は、その形で読み進めていくと、あなたが以前おっしゃっていた

「親子が恐れと人生にどう向き合ったかという記録」という表現が

ますます ぴったりだと感じます