新しい年度ももう目前。なにかと慌ただしい日々を送っております。
そんな私ですが、某ショッピングモール的なところでお買い物をし、利休さんで牛タンをいただいてきました。おいしいよねぇ、牛タン。スープもいいし、あの辛い味噌、あれもいい。伊達茶のお大福もありがたい……って、牛タンについて語りすぎた。
タイトルからどんどん離れて行ってしまいましたが、気を取り直して。
ショッピングモールって、だいたい混んでいるんですね。
お食事のお店も、ほとんどが長蛇の列。
「なんでこんなに混んでいるんだろ。みんな他のお店に行ってくれたらいいのに」
なんて、いつもは勝手極まりないことを思っていたりしたわけですが。
席について注文を済ませ、お料理が届くのを待っている間、ふと考えたのです。
この地球上にたくさんの人たちがいて、ショッピングモールの中にもたくさんの人たちがいて、その中で、私と同じタイミングで牛タン定食を食べたいと思って行動した人がいる。
同じ時に、同じ場所に行って、同じものを食べる、つまり、私と似た感性を持った……なんていうんだろう、近しい存在?
なんだかね、そう考えると、愛なわけです。
で、どこが「戦いの火蓋」かというと、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、DREAMS COME TRUEの曲のタイトルなんです。ここで歌詞を載せるのは控えますが、興味のある方は調べてみてください。
なんか、最近、他者に対する感覚が変わってきているんです。
「他の人」「知らない人」じゃない、というか。「知らない人だから警戒しないと」みたいに、ならない。急に変わりすぎたせいか、「なんだこれ」っていうのがあって、少し不安定なくらい。
この感覚、言語化できたらいいんだけど! どういえばいいんだ……。
受け入れがち。来るもの拒まず、去るもの追わず。知らない人であっても、自分との境界線があいまいというか。結局、同じなんだよね、アカシックレコードで繋がっているし、って感覚。
集合的無意識とか学んでいるおかげかも?
この曲のリリースが1990年、なんと34年前。はじめて歌詞を見たときは「ええ……そうなる?」って思ったりしたけれど、私の感性が34年前のドリカムに追いついた。ドリカムすごい。超すごい。
相手の視点に立って、みているもの、見えている世界を想像してみる。
そこにひとつの人生があって、それは誰かと繋がって、関わっていて、辿っていくととっても壮大。
宇宙空間に、ぽーんと放り出されたみたいにどこまでも広くて、拠り所がなくて不安定だけれど、それでも朝になってご飯を食べて、支度をしてでかける。現実世界に生きている。
いろいろ、遠い。遠くて、近い。繋がっている感覚はある。
ずっと後になって見返して「このときの自分、やばいな」ってなりそうな言葉ばかり並んでしまったけれど。
困惑する後の自分へのメッセージ。
次に牛タン定食を食べるときは、とろろもつけよう。
↓お勉強させていただいております。