タロットカードの考察☆「女教皇」について | Holo i mua! ー前を向いて歩こうー

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明日から4月ですねぇ。日々の過ぎるのが本当に早い。

無理に追いつこうとすると溺れてしまいそう。一歩一歩、歩いていくように、着実に進んでいきたいものです。

 

ちなみに! この考察シリーズ、ほぼ毎回書いていると思うのですが、あくまで、私の解釈とイメージです。「へぇ、そういう捉え方もあるのね」程度に受け取っていただけるとありがたいです。

さて、今回は「女教皇」さんの考察ですが、そんなわけで、以下の記事を読んで「女教皇たんはそんなんじゃない!」って怒らないでくださいね……。

 

カードNo.2、女教皇さん。

ウェイト版では、両脇に白黒の柱、背後にタペストリー、青いゆったりした衣装を身にまとって座っている、若い女性として描かれています。手に巻物を持ち、足元には三日月、というのがおおまかな特徴ですね。

彼女は、特別な女の子。

我々が住むこの現実世界にも、神の領域にも、どっちにも存在していて、神の声を聞くとされている、神聖な存在。彼女の持つ「2」という数字は、陰陽・男女・光と影のように、二つの極をあらわしています。最近流行りの(?)聖女さまともいえるけれど、霊性だけでなく、高い知性を持っていることは、彼女の持っている巻物が物語っています。

 

ここからは勝手な想像ですが。

きっと彼女は、幼いころから特別な教育を受けてきたのではないでしょうか。

教会の奥で、聖職者にかこまれて。

なので、知識は持っていて、常に冷静で「正しく」いられる。

それはある意味、脆さでもあるかもしれない。

潔癖であるがゆえに、曲がったことが許せない。

 

「お金がなくて」「なら無駄遣いしなければいいじゃない」

「太っちゃった」「運動して食べなければいいのよ」

「ふわぁ……ねむい」「夜更かししているからでしょ。早く寝ないせいよ」

「彼女がいる彼を好きになっちゃって」「当然諦めるのよね?」

実際はとても心優しく、そんな言い方はしないかもしれないけれど、そういった「はい論破」的な、極端な考えを持っている。「考えればわかるよね」「自己責任」「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」的な。

彼女は、正しい。

でも世間は、正しいだけじゃない。

「それはわかっているんだけどさぁ」ということで溢れている。

「なんで正しくできないの? 簡単なことじゃない!」

考えるほどにイライラして不安定になる。世の中がばかばかしく思えてしまう。

 

それは、彼女の経験不足のせい。

おなかが減る惨めさも、お金がない焦りも、大事にしてもらえない子どもの絶望も、抑えられない怒りや激情も、知識として知っていても、実感することができない。1+1は2以外にあり得ない。彼女には「3」の要素がない。「第三者」「三拍子」「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、世界の広がり、奥行き、清濁併せ持つ要素。だからこそ、清廉でいられる。

 

このカードを見ると、ガラスのような、凛とした冷たい硬さを感じます。

あたたかくやわらか、ゴージャスで活発、というより、清貧。

正論はときに人を傷つけてしまう。

他人だけじゃなく、自分のことも。

「女教皇」がそれを教えてくれている気がするのです。