東京都知事選挙の結果について、いろんな人が、いろんなことを言っている。私の周りでは、でしゃばりすぎた共産党の責任を指摘する声が強いが、そうではない角度で論じたい。
何かといえば、都知事選挙に臨む立憲の戦略が、そもそも間違っていたことである。一言でいえば、現時点での国政選挙での対立軸を、そのまま地方自治体の、しかも首長選挙に持ち込んだ間違いである。
春の補選結果にあらわれた構図は、いまだに続いている。金権自民党への批判は根強く、そこを対立軸に置けば、野党は国政選挙で勝利する可能性がある。
問題はそれを地方自治体の首長選挙に持ち込んだことである。金権自民党への批判はなお継続しているが、都知事選で勝とうと思えば同じことをしても難しい。小池氏の支持層にどう共感を広げるかが課題なのに、自民党批判と小池批判を結びつけ、両者を区別しなかった。もともと自力の差があるのに、それではどうしようもない。
首長選挙では現職が強いとよく言われる。それはその通りで、だって現職はばらまくことができるからだ。とりわけ東京のような財政潤沢な自治体はその傾向が強まる。
小池氏に対して大企業偏重を指摘する声があり、実際にそういう面はあるだろう。しかし、小池氏は同時に、連合などにもアプローチし、東京都が労働者支援で何をしたらいいかを聞いて、その上で政策を実行していた。だからこそ、連合東京による小池支持という態度も生まれたわけである。芳野会長の「反共イデオロギー」の産物ではない。
東京都の予算、政策にはそういう面がある。だから共産党都議団だって、時として「この予算は党議員団の主張が実った」などと宣伝もするわけである。それなのに、選挙の対立局面になるとそれを忘れて、小池氏には何の評価できる実績もないかのように宣伝するのでは、説得力に欠ける。
蓮舫氏の知事選挙最中の訴えを聞いても、「小池さんが子育て支援をやったのは、ようやく数年前からだ」というのがあったが、それって「やった」ことは認めているわけである。だから、小池氏が「やった」ことをを前提にした選挙戦略が求められていたのだと思う。方向が同じような政策ならば、小池氏のチャレンジを評価しつつ、自分ならそれを抜本的に伸ばせるのだということを、説得力をもって語ることが必要だったのではないか。暮らしにかかわるほとんどの分野では、それが必要だった(完全に対立する分野もあっただろうが、選挙結果を左右するほどの重大争点にはならなかった)。
つまり、小池氏を嫌いではない保守や中道にもウィングを広げることを最も大切にし、そのための戦略を構築すべきだったのである。政策面でもそうだが、連合内部にも立憲と国民の共闘を追求する人もいるのだから、そういう人を前面に立てるなども考えられた。「市民と野党の共闘」というのは、2015年に「反安倍」で結束した際は、実際に立憲主義が脅かされたので、保守層も共感する要素があった。しかし現在、「市民と野党の共闘」と言っても、保守や中道勢力は自分のことだとは思わないだろう。「市民」のなかに、誰が見ても中道、保守だという人を取り込む努力でもしないと、どんどん影響力は廃れてくるように思える。
共産党の問題は、自分が前面に出ることで、この立憲の間違った戦略を浮き立たせる役割を果たしたことだろう。私は、「共産党が支援してくれたらウィングが広がった」と言われるような共産党をめざしているが、現実に共産党が進んでいるのは、「革命政党」であることを誇り、党内異論は排除する道だから、ウィングは狭まるばかりだ。
ただし、金権自民党とそれに対抗できる野党共闘という構図自体は、国政選挙ではまだ有効である。今回、蓮舫氏が大敗したことを受けて、その構図を次の国政選挙に持ち込まないことが立憲のなかで議論されているが、それは早計である。
けれども、補選とは異なり総選挙は政権をかけた選挙だから、政権をとったらどうするかという訴えが魅力的でないと、自民党の対抗馬にはなり得ない。安保自衛隊問題も含めて説得力を持つことが不可欠だ。
立憲はそこにどう答えるのか。共産はそういう選挙をやる際に、いまと同じでいいのか。真剣な総括が求められるだろう。
なお、共産党の志位議長や小池書記局長は、蓮舫氏について「最良・最強の候補者」だと評価した。私もそれには同意するが、ただし、立憲が採用した戦略の枠内では、という限定付きだ。この路線で闘ったのにこれほどの得票がとれる候補は、他にいなかっただろう。ご苦労様でした。