高山陣屋・・江戸時代の高山陣屋の姿! | 自然派のブログ

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高山陣屋

徳川幕府直轄領

全国に唯一現存する郡代・代官所

江戸時代の高山陣屋の姿を今に!

(撮影日2023・7・26)

これまで飛騨高山には数回来ていますが、早朝の出発や、閉館してからの到着で上手くいきませんでしたが、友人も付き合ってくれたので町屋の風景は後にして・・

今回はまっしぐらに陣屋に行きました。

復元されているものが、正確で当時の役所の生活も良く解ります。

写真の枚数も多くてまとめきれませんが、冊子などを参考に主だったことだけ取り上げていきたいと思います。

陣屋入り口正面です・・

300年の時を超えて

・・・・飛騨の歴史を物語る

元禄5年(1692年)徳川幕府直轄領になりました。

それ以来明治維新まで176年間、江戸から代官などが派遣され、幕府直轄領の行政が行われてきました。

江戸時代の高山陣屋の姿がほぼよみがえっています。

案内板に詳しく書かれています。

呼んでくださいね。

門の周りも役所の雰囲気が醸し出されています!

門から見た入り口風景

 

友人はいつも一足早く一歩前です・・😊😊

欧米の方も沢山見学されていました・・・

陣屋内案内図

青海波(せいがいは)

玄関の大床[大きな床の間]に描かれている青海波は、海の波を模した吉祥文様で、江戸時代に流行しました。無限に広がる波の模様には、未来永劫続く繁栄と平和への願いが込められているとも言われています。
玄関の間に展示してあります・・

真向兎(まむきうさぎ)

挿絵でわかりやすく説明してあります・・

 
部屋の長押[なげし]などに打ちつけた釘の頭を隠すための装飾。
うさぎは子どもをたくさん産むことから、縁起のよい意匠[デザイン]とも、火災から建物を守ってくれる魔除けの意味合いがあるとも言われています。なぜ高山陣屋の意匠として採用されたかは、よくわかっていません。
江戸時代のセンスが良いですね・・
見た目も素敵です・・
写真は傾いていますが・・滝汗滝汗

嵐山の間(御居間)

江戸から派遣された代官・郡代とその家族が居住した役宅内にあります。
代官・郡代の日常生活に使われた部屋で、奥には茶室も併設。ちなみに嵐山の間は別称であり、本来は御居間と呼ばれています。

ここで名人戦が行われたそうです・・
 
庭も見えて癒されます・・
欧米の方の方が多いくらいでした・・
日本文化が好きな方は、ほんとに詳しそうです・・

御白洲(おしらしゅう)

取り調べを行ったり、判決を言い渡した場所。裁判における法廷の役割を果たした部屋とされています。 御白洲は陣屋内に2ヶ所あります。
一方は、村からの訴えや願いごとを受ける、今で言うところの役所の窓口となる場所です。もう一方では罪を犯した人の取り調べや裁きが行われ、いわゆる法廷の役割を果たしました。
厳しい拷問が課される場合もあったそうです。
拷問されたら、向う脛は砕かれてしまいますよ・・
怖いですね・・・ガーンガーンガーン
御蔵
年貢米を納める部屋です!
年貢が貯蔵されています・・
下の台所
台所
 
各部屋に連結する廊下・・
飛騨の改革と陣屋の足跡
※写真がボケて読めませんね滝汗
飛騨県知事
初代・梅村速水
外壁と廊下・・
拝観が終わって出てきたら薄暗くなっていました・・
振り返って一礼・・・
陣屋を後にします・・
高山の町並みに向かいます・・
 
今回じっくり拝観出来てとても良かったです!\(^o^)/
まだまだ書きたりませんが、集中力が薄れてしまって・・・滝汗滝汗
全ての部屋の写真を撮ってきましたが、とても記載できません😅😅😅
おしまいです!ニコニコ