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年金アドバイザーのhirokiです。
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「(号外)戦後日本経済の発展と高度経済成長の土台となった国民皆年金」
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8月15日は敗戦から76年になりますね。
日本が第二次世界大戦(大東亜戦争)を日本防衛のために戦った事で、世界中に蔓延っていた白人による植民地支配が世界から消える事になりました。
白人による世界のアパルトヘイト化の進行が、コロンブス以来400年で終わりを告げる事になったのであります。
世界の国々が独立し、白人による植民地支配や人種差別の無い平和な世界で今を生きる事が出来る事に、日本防衛のために戦った先祖に感謝する事がとても大切な事だと思う。
(1.戦時体制に突入する日本、そして社会保険としての年金の始まり。)
それにしても、年金っていつから始まったのでしょうか。
年金は戦争と縁が深いから先に戦争の事から入りました。
西洋から日本が植民地にされないために日本近代化を始めた明治時代からと思う人が多いですが、今の厚生年金は昭和17年6月の第二次世界大戦真っ只中の時にできました。
保険料納めるタイプの国民年金はその約20年後の昭和36年4月から。
考えると意外とそんなに昔からあるわけではないですね。
厚生年金(当時は労働者年金保険という)が昭和17年という戦争真っただ中にできたんですが、なぜ日本がみんな戦争で忙しい時に年金なんて作ったんでしょうか。
昭和17年6月というのは日本の戦況が悪化に転じ始めたミッドウェー海戦があった時です。
この海戦でベテラン飛行士がほぼ全滅してしまった事で、後の零戦ごと敵に突っ込む神風特攻隊が昭和19年10月から結成される事になる。
このような時に年金が出来た目的としては労働者の士気を高めるためです。
戦時体制に入る中で、戦力の増強、生産力の拡充において国民の健康の増進や、労働力を守るための重要性が認識され始めてきたからです。
国が年金で老後や死亡時、障害を負った時に保障するから心配なく労働に励んでくれという事ですね。
当時は厚生年金というのは肉体労働の男子労働者のみを対象としていました。
女子が対象外とされたのは、女子が外で働くという時代ではなかったので、厚生年金に加入させて20年以上も支払ってもらう事に現実的ではなかったからです。
ところが戦況がますます悪化して敗戦が濃厚になっていた昭和19年10月には改正して、女子や事務職の人も加入できるようになりました。
男子だけでは動員が足りないので、女子も勤労動員(女子挺身隊といわれる人達)として働いてもらって戦争に協力してもらうようになったから。
男子生徒の動員は学徒動員と呼び、女子は動員という用語が使えなかったため女子挺身隊と呼ばれました。
しかしながらおおむね女子の勤労動員は2年間とされていて、厚生年金を貰うための20年には全く足りませんでした。
そこで今まで支払った保険料を返すという脱退手当金というものを、過去に保険料を6ヶ月支払った場合は手当金を支給するというようにしました。
昔の厚生年金は20年以上の期間が無いと貰えなかったので、このような過去の支払った保険料を返すという制度がありました。
現在は過去に支払った保険料を積極的に返すような制度はありません。
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(2.敗戦し、焼け野原となった日本と年金制度の崩壊危機)
昭和20年8月15日に日本が敗戦し、日本はいたるところが焼け野原となりました。
日本には何もない状態になった。
何もない日本にやってきたのは、日本を占領するためにやって来たマッカーサー率いる連合軍総司令部、すなわちGHQであり、近くの国(東南アジアや朝鮮など)に住んでいた日本人や生き残った兵士が合わせて約700万人も帰ってきました。
元兵士には退職金が支給されました。
日本人が日本に帰って来たなら良かったねと思うところですが、日本は焼け野原だから食べるものや売るようなものがほとんど無いですよね。
退職金なんかが支払われてお金は貰ったけど…買うものが無い。
何かを買いたいという需要はあるのに、供給するものが無いとどうなるか。
そう、物価がものすごく上がるんですね。
この時にハイパーインフレという事態が起こりました。
戦前の物価の100倍になりました。
いつもならその辺で100円で売ってたものが、戦後は10,000円になったようなものですね。
なので持っていたお金、貯蓄していたお金などはみるみるうちに価値が無くなりました。
例えば10万円貯めたのに、100円のものが1万円になったら10万円なんてすぐ無くなってしまう。
また当時は年金は積立方式だったので、年金のために積み立てていた積立金の価値は無くなってしまいました。
積立金がハイパーインフレで価値を失くしてしまい、厚生年金は敗戦後は事実上崩壊となり、老齢の年金は凍結されてしまう(まだ受給者は存在していませんでした)。
一応、遺族年金や障害年金などはいくつかは支給されていた。
物価が高騰する中で、厚生年金保険料をそれに合わせてどんどん徴収するわけにもいかないし、国民の生活への影響も考慮して保険料の大幅な引き下げが行われました。
約10%から引き下げて3%程度の保険料で凍結。
戦後すぐは年金をなんとかするというよりも戦争で家族や家を失った人や、戦争で大きなけがを負ってしまった人などで溢れかえり、その人たちの救済が何よりも先決だった。
この人たちには障害年金を支給したのかというと、年金ではなく生活保護でした。
生活保護は戦争で家族や住む場所を失くしたりした人を救済するために、健康で文化的な最低限度の生活を保障するために始まった制度であります。
また大量の失業者は国鉄に大量採用という事もやった。
まずはそのような人々の保障をしつつ、日本経済の復興にとりかかるわけです。
この時に日本政府が実施したのは傾斜生産方式といって、全産業の基礎となる石炭や鉄鋼の産業に重点的に投資するやり方でした。
石炭会社や鉄鋼会社に投資したいけども…政府自体にお金が無かったので復興金融公庫という赤字国債みたいなやつを大量に発行し、日銀に引き受けさせました。
今じゃ絶対やってはならない事ですが、国が国債を日銀に引き受けさせて、際限なくお金を刷ってもらうやり方ですね(国がお金欲しい時は民間の銀行に国債を売ってお金を手に入れるのが原則)。
こんな事をしたらお金が溢れるわけで、お金が溢れるというとなんとなく効率良さそうな印象がありますが、インフレが加速してしまう(お金の価値が減っていく)。
戦後のハイパーインフレで物価が100倍になってしまいましたが、このお札の大量発行行為で物価が200倍になってしまいました。
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