だいぶ昔から危惧されていた少子高齢化の波と、昭和61年に行われた年金水準の大幅な引き下げ。 | 年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座

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知れば知るほど奥深い年金制度!
僕も日々勉強ですが、一人でも多くの方に年金の事を知って欲しいと思います。
年金は…正確に書くように努めてはいますが、少しでも年金の事を知っていただければ幸いであります。
一緒に年金について考えてみませんか?

こんばんは!

年金アドバイザーのhirokiです
 
今日の記事は前回と前々回の記事をドッキングさせて、ところどころアレンジしたものです。
 
 
 
日本人口は今から100年前の大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われた時に、日本人口は5600万人程でした。
 
 
1940年(昭和15年)になると7300万人になり、1970年(昭和45年)には1億人を突破しました。
 
こんなに増加してくると日本は住む場所が無くなっていくのではないかと本気で心配されていたが、1980年(昭和50年)には合計特殊出生率が2.0を下回り始め、人口増加が鈍り始めました。
 
 
2008年(平成20年)に人口はピークを迎えて、そこからついに全体の人口が減少し始めました。
 
 
 
現在の合計特殊出生率は1.4くらいですが、平成17年に1.26の最低を記録してその後は若干の回復はしてきたものの、合計特殊出生率が2.08(人口置換水準という)を下回る以上は人口は減り続ける。
 
 
このまま人口が減り続けると2100年には6000万人~5000万人程まで人口が減る。
 
およそ1920年の人口くらいになるという事。
 
 
ところで、日本人の平均寿命は戦前まで50歳もいきませんでした。
平均寿命が50歳を超えたのは戦後から。
 
 
昭和17年に厚生年金が出来ましたが、厚生年金の支給開始年齢が55歳(昭和29年改正で男性は60歳に引き上げて女性はまだ55歳とした)でした。
 
平均寿命がおおむね50歳だったからその辺を設定していた。
 
 
女性の厚生年金支給開始年齢は昭和60年改正の時に55歳から60歳(平成12年度)に引き上がりました。

女性が支給開始年齢を55歳支給で優遇されていたのは、昭和当時は女性が厚生年金を受給するという事はかなり少数派であり(寿退職したら再就職という事は考えられない時代であり、20年以上の厚生年金期間を満たす人が稀だった)、あまり財政の負担は無いだろうと考えられていたから。
 
 
 
なお、当時は人生50年と言われていたけども、今は人生80年とも100年ともいわれる。
 
 
昭和40年代あたりに男性も女性も70歳代まで平均寿命が延び、女性は昭和60年には80歳を突破しました。
 
男性も平成25年に平均寿命が80歳になり、日本は世界一の長寿国となりました。
 
 
昭和50年に出生率が2.0を割ったにもかかわらず、30年以上も人口が増加し続けたのは平均寿命の延びが人口の減少分をカバーしたからです。
 
 
とはいえ、人口が減るのは必ずしも悪い事ではないですが、この割合が問題。
 
 
これから約80年後の西暦2100年の人口5000万人のうち、40%の2000万人が65歳以上の高齢者となる事が見込まれています
 
 
昭和20年代まではおおむね人口の3人に一人が15歳未満の若年者。
 
6000万人の人口ならその2000万人が15歳未満の若年者でした。
 

 
しかし昭和30年代あたりから若年層の人口が急激に減り始め、平成2年(1990年)には若年層の割合が20%を切ってしまいました。
 
 
令和現在は若年者人口は12%くらいまで落ち込んでしまった。
 
 
逆に65歳以上の高齢者はというと、昭和20年代は人口の5%ほどだったけども、昭和45年に7%になって高齢化社会になり、平成6年には14%になって高齢社会になり、平成19年には超高齢社会になった。
 
現在は1億2000万人のうち3600万人が65歳以上の高齢者
 
 
 
そういえば日本は昭和の初めころまでは男性の方が人口が女性より多かったです。
 
おおむね50万人くらいは男性が多かったとされます。
 
 
ところが第二次世界大戦で兵士となって日本を防衛するために戦った男性が亡くなった事で人口が急激に減り、男女の人口構成比が逆転してしまった。

日本は未だに侵略戦争をしたとか日本を貶めるような事がよく言われてますが、マッカーサーが昭和26年5月3日に軍事外交合同委員会で証言したように日本は防衛のために先祖は戦った。
 
 
戦後は女性の方が男性より400万人ほど多い状況になった。
 
 
その後は少しずつ男女の人口差は縮まり始めましたが、女性の平均寿命の延びが凄まじかったので再び男女間の人口差は開き始める。
 
 
現在の日本人口は1億2000万人のうち、男性は6100万人ほどで女性は6500万人ほど。
 
 
 
女性の方が男性よりも400万人近く人口が多い状態になっています。
 
 
まあ…これから人口が増えるわけでもないし、女性の平均寿命はこれからも高水準なので、今後も女性の人口が多い状況が続いていくでしょう。
 
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話は変わりますが、年金で最も重要な改正で国民年金が始まった昭和36年4月1日と現在の基礎年金制度が始まった昭和61年4月1日という年月日があります。


年金には膨大な改正がありますが、最も土台となるこの2つは必ず覚えておく必要があります。
この時の改正を土台として年金を考えないと、正直言って単なる無意味な暗記地獄になって苦しいだけです^^;

いろんな意味を持つとても重要な改正なので、よく記事としても手を変え品を変えて話題にする事が多いです。



特に年金の形がガラッと変わって現在の形となる昭和61年4月は重要で、一つの理由としてこの時の大改正は将来の少子高齢化に対応するための年金水準の大幅な削減が目的でした。


昭和50年代からは年金受給者が急激に増加し始め、年金給付費が膨大な額になってしまう事が見込まれました。
10年前の昭和40年代までは1兆円も無かったのに、昭和55年には年間10兆円に膨れ上がったからですね(今は年金が抑えられてる事もあり、年間55兆円前後を行ったり来たり)。


少子化で現役世代は少なくなるけど、高齢化はひたすら進んで高齢者は増加する…


年金は現役世代の保険料を財源に年金受給者に年金を支給していますが、現役世代が少なくなって高齢者は増加するとなるとどうなるか。


高齢者はどんどん増えるけど、年金水準を今まで通りの額で支給し続けるのであれば、現役世代からはたくさんの保険料を支払ってもらわないと今まで通りの額を支給する事はできません。



しかしながら現役世代もいくらでも保険料が支払えるわけじゃありません。


例えば今の給料が50万円としてそのうちの18.3%(労使折半で9.15%)が厚生年金保険料ですけど、これが30%~40%となるととてもじゃないですよね^^;


給料50万円の内、15万円とか20万円の厚生年金保険料を支払うような状況になります。


実際、昭和60年改正(昭和61年4月施行)の時は将来は現役世代からは38%は負担してもらわないとダメだね~という事が試算されました。



それは無理な話なんで、どうしたかというと今後の年金受給者の年金水準を引き下げる事にしたんですね。



年金の財源を考えた場合は、大きく分けると「年金水準を下げる」か、「保険料上げる」か、「支給開始年齢を上げる」方法を取るしかないです。
オイシイ話や裏技みたいなのは期待しない方がいい。
 
(全額税でみんなに7万円は最低支給します!みたいなオイシイ話はまず信用してはいけない)


だから昭和61年4月以降に年金を新しく貰う人から、20年かけて年金水準を引き下げる事になりました。



なお、昭和61年4月1日にすでに年金貰う人(もう昭和61年4月1日時点で60歳以上になってる人)は引き下げずに、その後に年金の年齢を迎える人から年金水準を引き下げていきました。

昭和元年度から昭和20年度生まれの人までの20年間で計算式の数値を下げていって、昭和21年度以降の人は同じ計算になっている。
 

例えば、50万円の給与の人が昭和元年度生まれで300ヶ月だったら、計算式の50万円×10÷1000×300ヶ月=150万円となるに対して、昭和21年度以降の人は50万円×7.5÷1000×300ヶ月=1,125,000円の年金になる。
 

20年かけて本来の4分の3まで落とした(10→7.5)。
 
 
 
逆に国民年金は昭和元年度生まれから昭和15年度生まれの人までの15年間で給付水準を落とした。
 
 
例えば国民年金は昭和61年4月時点で300ヶ月(25年)ある人は、年間60万円(月額5万円)の年金額になった。
 
 
300ヶ月納めれば60万円(令和3年度満額は780,900円)になるよと。
 
 
国民年金の月単価がその時に2000円だったので、2000円×300ヶ月=60万円だったという計算ですね。
 
 
だから、昭和61年時点ですでに60歳を迎える人である昭和元年度生まれの人は、国民年金始まった昭和36年4月からから昭和61年3月31日まで加入したとするとちょうど300ヶ月(25年)になりますね。
 
 
ところが昭和61年の時の改正で、300ヶ月ではなく480ヶ月で60万円貰えるようにした。
 
 
月単価を2000円から一気に1,250円まで下げて、480ヶ月納める事になれば1250円×480ヶ月=60万円となる。
 
 
 
いやいや、昭和元年度生まれの人は昭和61年で60歳になって2000円×300ヶ月=60万円の国民年金貰うのに、いきなり月単価を1250円まで下げて480ヶ月で60万円に計算式変えたら損するやん!って思いますよね。
 
 
2000円の月単価を突然1250円にしてしまうと、300ヶ月で375,000円になってしまう。
 
 
 
いきなりそれは酷過ぎるので、昭和元年度生まれから昭和15年度生まれの人までの15年間で300ヶ月から480ヶ月まで延ばす。
 
 
ちょっと復習ですが、今の基礎年金って10年(120ヶ月)加入すると780,900円(令和3年度満額)÷480ヶ月(加入可能月数)×120ヶ月=195,225円みたいな計算をしますよね。
 
780,900円が当時60万円として、480ヶ月(加入可能月数)分母が当時300ヶ月だったところから480ヶ月まで引き上げる
 
 
どういう事かというと昭和元年度生まれの人は昭和61年でもう60歳だから、60万円(老齢基礎年金)÷300ヶ月(加入可能月数)×300ヶ月=60万円を支給した。
 
 
でも昭和2年度生まれの人は昭和61年度に59歳だから、昭和元年度の人より1歳若いからちょっと年金を下げさせてもらって300ヶ月を312ヶ月とした(60万円÷312ヶ月×300ヶ月=576,923円)。
 

次に昭和3年度生まれの人は昭和61年度に58歳で、昭和元年度生まれの人より2歳若いからもうちょっと年金を下げさせてもらって312ヶ月を更に324ヶ月とした(60万円÷324ヶ月×300ヶ月=555,556円)。
 
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※補足
312ヶ月というのは26年間。
昭和2年度生まれの人は国民年金が始まった昭和36年度に34歳になる。
34歳なら60歳までの26年間は強制加入期間として保険料を納めれる。
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同じように昭和4年度生まれ、昭和5年度生まれ…と1年ずつ伸ばしていって、最終的に昭和16年度生まれ以降は全て480ヶ月となります。
 

昭和16年度以降生まれは国民年金始まった昭和36年度に20歳になって、60歳まで480ヶ月間納めれるよねと。
 
 
このようにザックリと示しましたが、昭和元年度から昭和15年度までの15年間(180ヶ月)かけて、300ヶ月から480ヶ月に引き伸ばしていきました。
 
簡単にまとめると、300ヶ月納めたら貰えた額を480ヶ月納めないと貰えない額にしたって事ですね^^;
凄い大幅な年金引き下げでした。
 
 
 
このような大幅な給付の削減で、将来に現役世代が負担する厚生年金保険料が38%から28%まで下がり、国民年金保険料は約2万円から13000円まで引き下がる事になりました。
 
 
とっても年金水準を引き下げたから、これで来る高齢化の波も乗り切れるだろうと。
 
 
でも、少子高齢化の波は予想をはるかに超え、その後も改正が続く事になりました。
 
 
 
話が長くなったのでこの記事では以降の改正の事は割愛しますが、現在は度重なる改正で厚生年金保険料は18.3%上限で、国民年金保険料は17000円(法定額)を上限としています。
 
 
高齢化が止まらないので、若い人達は一体どこまで保険料負担をしなければならないんだろう…と心配されますが、とりあえず保険料負担は先ほどのを上限としながら、その中で年金を支払っています。
 
 
入ってくる収入(保険料)の中で年金をやりくりしなければならないから、それで今は何かと年金を持続可能なものとするために調整が行われています。
 
 
それでは今回はこの辺で。
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7月7日の第197号.年金制度が無ければまともに生活出来る人はほぼ居なくなり、更なる高齢化による介護と医療の問題。

7月14日の第198号.通常の考え方とは違う20歳前障害基礎年金の取扱いと、年金計算総合事例。

7月21日の第199号は、「共済と厚年記録がある人の遺族厚生年金と、障害厚生年金受給者の死亡が重なる時」

7月28日の第200号は、「大切な生活保障である配偶者加給年金と振替加算の支給時期と停止時期の7パターン」


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