こんばんは!
年金アドバイザーのhirokiです。
僕は今年になってから毎日、大祓詞という1300年以上の歴史がある祝詞を神棚に向かって奏上(声に出して読む)しています。
最強のお清めの力を持つ祝詞として有名な事は今年初めて知った。
もともと神様とか、運とかそういうのはあまり信じてなかった人間でしたが、この数年間、なんとなく神様の存在を認めざるを得ない出来事が続いた。
そして過去の出来事を振り返ってみると、やはり運とかそういうものが絡んでいて腑に落ちる部分を思い出したりしました。
確かに運に助けられたとしか考えられない部分がいくつかあった。
もうどうしようもないという局面で、スルっと助かってしまうというか。
例えるなら、高い所から落っこちてもうだめだ~!!という時に横から強い風が吹いてちゃっかり助かってしまうようなイメージ^^;
そういう事を今更考えた時に、誰に感謝すればいいのかといったら神様になってくる。
もしかしたら、ご先祖様とかそういう存在だったかもしれないけどそういうのもひっくるめて。
そんな有難い事に気付かなかったけど、今年の冬から大祓詞を奏上し始め、過去に神社にまともに参拝したことが無かった自分が急に神社へ行きたくなり、何かよくわかんないけど今年の春に祐徳稲荷神社に行ってきた。
どういう神様が祀られてるのかも知らなかったけど、とにかく無性にその神社に行きたくて長い時間かけて行ってきた。
神社の由来とか祀られてる神様とかは現地の立て札で知った。
今思えば、大祓詞は全ての神様が聞き届けてくださる祝詞だから、きっと自分にとって行くべき神社の神様が「ウチに来なさい」という事で誘ってくれたのかなと今もそんなふうに感じてます(笑)
神様に呼ばれるとかそんな事があるのかはわかんないけど、そんな感じだった気がする。
神様なんているわけないと思ってたし、今まで神社に行ったとしても誰かの付き合いで行くだけで、お賽銭入れてちょっと手を合わせて終了だった。
でも人生で初めてしっかり自分の意志でお参りをし、御祈祷までしてもらった。
神社での太鼓の音や、鈴の音、笛の音というのが物凄く何かスッキリした。
それらの音の美しさにも初めて気が向いた気がする。
音がとても気持ち良かった。
僕は神様に何かお願いというよりも、ずっと誰にも伝えれなかった想いを伝えに行ったような感じだった。
その後、神社ではお神札やお守り(鈴が付いたものとかも)を買ってきて、そして神棚というものを初めて飾った。
大祓詞を奏上し始めてまず目に見えて変わった事は部屋の中がビックリするほど綺麗になった事。
神棚を作ってより空気が一層美しくなった。
なんというか、部屋の中の空気と光がふんわりした柔らかいものに変わった。
とにかく部屋のモノが自分の手で一掃されてしまった。
モノにも気が宿るのか、僕に違和感として伝わってひたすら処分した。
モノに限らず何か良くないなと思うものは違和感として伝わるようになった。
その違和感を無視したりすると失敗する(笑)
神棚をジーっと見つめていると、時々思う事があります。
神様は言葉を持たないけれど、無意識の世界でいろいろお仕事してくれてるんだなあ…と。
もっと早くそういう力の存在に気付いておけばまた違った人生だったかもしれないけど、ようやくそういう「時」が来たから気付けたのかなと思っています。
祐徳稲荷神社に行ってからは、神社に行きたいという衝動は特に無いですが、一応他の神社にも一度だけ足を運びました。
まあ、、お参りは基本的には一年に一回やって、あとは大祓詞を毎日奏上しながら八百万の神様達と繋がり、日々の罪(積み)と穢れ(気枯れ)を祓ってもらって、自分の努力を淡々と続けるだけであります^^