嫌われる勇気…
なんでそんなタイトルに目がいって購入したのかはわかりません。
でも、今まで関わってきた人はもちろん、ブログやSNSでいろーんな人とコミュニケーションの場が増えた事、そしてそんな中「自分」というものを出していく過程で、どうしても気になってくるのが「他人の反応」。
自分を出す上で、どこかしら不自由を感じてたんでしょうね。
そして今後乗り越えないといけない壁だと心のどこかで思ったからでしょう。
(嫌われる勇気の本の中には、嫌われる勇気の事だけではなく、劣等感、競争、今ここを生きる、自分は存在しているだけで価値がある事を認める、認められたい欲求、すべての幸不幸は自分が選択してきた事、自由とは何かとか、そういう事についても書かれていました)
嫌われるのは怖い。
誰だって好かれたいに決まってる。
でも、嫌われないが為に、みんなにとって都合のいいように動いてしまったら疲れてしまう。
他人から支配されてるのと同じですよね。
というか全員から好かれるなんて無理な話か…。
誤解を招いたならともかく…なんかよくわからないけど自分が自分である事で嫌われたんならあーだこーだ説得しても仕方ないですよね…
自分を嫌った人だけを見て、あたかも全員から嫌われたような気持ちになっちゃいがちですけど、自分を信頼してくれる好きでいてくれる人に目を向けれなくなるなんてそれこそ馬鹿みたいですよね。。
嫌われてしまう事も、その人が出した反応だから結局の所どうしようもない。
今までだって仲良かった、信じてた人にひょんな事で嫌われ、縁が切れた人も居ました。
なぜなのかわからない事もあった。
でも悪い事してやろうとか怒らせるつもりでやったわけじゃなかった。
仲が良かっただけに辛かったけど…
逆に自分だって、なんかこの人嫌だなーひどい奴やねーo(`ω´ )oプン!って思って嫌った事ももちろんありました。
ところで僕は今はFacebookは放置してます。
なんというか…「友達」だから、なんとなく嫌われたくないから無難な事、そして基本的にポジティブな事しか言えなかったからです。
友達という存在で登録してある以上、仲がこじれたり、失うのもより一層怖い。
時々、Facebook見てよく思う事があります。
何百~何千人と「友達」を持つ人がいるけど、その中に「本当に友達と呼べる人」って一体何人くらいなんだろうって。
僕はFacebookの友達は数十名程度ですが、本当の友達って数えるくらいしか居ないですね。
これから何百とか増えたとしても、本当に友達と呼べる人はそんなに増えないでしょう。
まあ「集客」等のビジネス目的なら割り切れるし、簡単に情報をシェアできて便利なツールだよねとは思います。
ブログは「読者」だからいろいろ書きやすいのかもしれない。
関心持たれなければ去っていかれるだけ。
とはいえ、実際に存在する人とのコミュニケーションの場であるから、リアルの人に対する接し方と特別変わらない。
そんなブログだって、以前面倒くさくなって1年半書いてきた年金記事止めてしまった事は何度か言った事ありますが、専門記事書いてるからか、何か不明点や間違ってる点を指摘してくるわけでもなく、とにかく頻繁に批判をしてくる人達も居たからだんだん面倒臭くなってきてやめたんです(コメ承認はしなかったですが)。
でも今思うと、んなもんスルーすりゃよかったo(`ω´ )o‼︎
応援してくれる読者様だって居たんだから…
それからブログを本格的に再開するまでは、無難に今日はこれだけ運動した、こんな本買いましたー勉強したー疲れたーとかいう記事をたまに書くくらいでした。
無難だから批判される事はなくなりましたけど、喜ばれたり共感される事もなくなりましたけどね
今はいつも自分と交流してくれる有り難い読者様の存在に目を向けれるようになり、その方々のおかげでやる気も出るし、割と書きたいように書けるようにはなりましたが
こういう人達を大切にしていかないとですね…。
というわけで、また明日からは淡々と年金記事書いていきますまあいつも通り。