このたびの震災で被災された方々に
『もやし屋として何ができるか』
を考えた時、真っ先に
『被災地でのもやし栽培を勧めること』
が思い浮かびました。それをツィッター上で提案した時、地元の友人であり教育者兼ライターの小林真 が私の想いと被災地におけるもやし栽培の意義を丁寧な文章にまとめ、私は飯塚商店のHP やこちらのブログ で公開をしました。ささやかではありますがこれが今深谷のもやし屋にできることであります。
そして現在私は深谷市役所商工振興課で展開している産学官連携事業『ゆめ☆たまご』に深く関わっているため、『被災地でもやしを育てよう』という私の想いに響いた『ゆめ☆たまご』を担当する市の職員が、深谷市と友好関係を結んでいる岩手県田野畑村に小島深谷市長が訪問する際に『もやしの豆と栽培マニュアル』を渡せるよう取り計らってくれました。
その様子は4月4日(月)朝日新聞、埼玉新聞で
さらに4月6日に東京新聞の埼玉版でも紹介されました。
この東京新聞の記事のタイトル、
『モヤシで希望を』。
そのままこのブログのタイトルに使わせてもらいました。
田野畑村へ向かう小島市長に豆とマニュアル、そしてもやしの絵本を託した時、市長が
「これ(田野畑への復興支援)は長期戦になる」
と話してたのが印象に残っています。私は
「今後現地に産業を興すのなら『もやし屋』ならできるのではないか。深谷のもやし屋として協力をしたい」
と伝えました。
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昨日は原発事故により町ごと加須市の騎西高校へ非難されている福島県双葉町住民の支援に深く携わっている方(福島県出身)が『新聞で知って』とお越しになりました。この方もやはり避難生活を強いられている大勢の人たちのため、何か出来る事はないだろうかと考えていて、そして『もやし栽培』に興味を持ったとのことでした。
『新聞を読んでこれだと思いました。町長にも話してみます』
と、おっしゃってました。私は栄養補給だけでない『もやしを育てることの意義』ともやし屋としての協力を惜しまないことを伝え、もやしの豆とマニュアル、そして絵本を渡しました。要請があれば加須まで行く気持ちです。
その夜、妻が深谷在住のある女性の方(78歳)からの電話を受けました。
「私は戦後のころより浅草でもやし屋を営んでたものです。私らのような知っている人ならまだしも、あの作り方じゃ(新聞記事にある育て方だと思います)上手にできないのではないか。もっと詳しく書いたほうがいいと思います。頑張ってください。応援しています」
そして今朝(7日)は・・・・
「私は今上尾に住んでいる○○といいます。田野畑村出身なんです。ありがとうございました」
と女性の方が電話で伝えてくれました。その短くも強い言葉に私も心をうたれて、
「いえ。こちらこそ・・・ありがとうございました」
と逆に感謝の気持ちを伝えました。それはもやし屋として初めて体験した感動でした。
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『被災地でのもやし栽培』は『被災された方々の希望となりうる』
と発案したものですが、それは同時に
『もやし屋にとっての希望』
でもあったことを実感しました。