それでももやしは伸び続ける 2015年12月号掲載予定

 

 これは平成27年(2015年)のことだから…およそ10年前になるのか。自分が「月刊食生活」という食の総合誌に連載を続けていて「それでももやしは伸び続ける」のタイトルで楽しくエッセイの寄稿をさせてもらったが、その食生活が平成27年の11月号で休刊となってしまった。これはその食生活での連載の最後のエッセイになったもの。前編で終わってしまったので、さすがにそれはないなと思って、原稿はすでに出来ていたから、当時の編集長に後編をメールで送った記憶がある(笑)。

 

・・・・・・・・

 

-“ゆめ”から“ほんとう”が生まれ、そして「本当」になった日  後編-

 

 平成23年(2011年)5月11日、深谷市内で最大の集客を誇る商業施設「イトーヨーカドー アリオ深谷店」の「地元名店市」というイベントに出店するため俺たち「深谷市産学官連携事業『ゆめ☆たまご』」のメンバーは集結した。この日を含めて5日間、アリオの催事コーナーでほぼフルタイムにわたって俺たちは俺たちの商品・サービスを売ることになる。アリオの催事コーナーは1階食品売り場近くのエントランス入ってすぐのところ。最も目立つ場所だ。ここでは毎週様々なイベントが開催される。「地元名店市」もその一つに過ぎない企画だ。しかし他のイベントと大きく異なるところ、それは俺たちがみな「ほんとう」をテーマに臨んでいることだった。

 

 生産者、食の提供者が掲げている「ほんとう」はアリオのような量販店にとっての「ほんとう」と大きく異なる。俺たちの「ほんとう」はお店にとって都合の悪い「ほんとう」でもあるのだ。あの時参加したメンバー、もやし屋、農家、漬物屋、とうふ屋、和菓子屋、個人飲食店…誰一人として「これをきっかけにアリオで売ってもらおう」なんて目論むものはいなかった。お店の方針、お客の求めるものと食い違ってもいい、俺たちは俺たちの信じているほんとうを伝えてやろうじゃないか。そんな思いを胸に秘め、目を輝かせていたのだ。

 

 イベントが始まるや否や、「ほんとう」を掲げた俺たちのエリアは異様な雰囲気に包まれた。買う買わないは別にして、多くのお客さんがそれぞれのブースにあつまり、興味深く俺たちの売るものを見て、話を聞いていたのだ。「もやしは本来はこういう形をしている」「これが本当の地元の菓子だ」「ほんとうのとうふの味をしってる?」「漬物の減塩というのは嘘っぱちだ」…応援に駆け付けたゆめ☆たまご担当の市役所職員も、私たちのほんとうを代弁しながらPRに努めていた。俺は「ああ、これも商業振興に携わるほんとうの役人の姿なんだな」と思った。

 

さらにその試みは地元の新聞記者も取材に駆け付け、毎日、東京、埼玉新聞に掲載された。

 

 もやし屋の俺は、透明の水槽で栽培したまさに「ありのまま」のもやしを持ち込み、もやしのほんとうを伝えた。俺のもやしは生きている。それはアリオ内においても、室内照明の光で伸び続け、葉の部分は青くなってくる。「よし。いっちょやってみるか」と思い立ち、アリオの青果売り場で売っている他社のもやしを購入、ざるにあけて俺のもやしとの変化度を比べて見せた。俺のもやしがどんどん変化していくのに比べ、他社のもやしは何もかわらない。この二つのもやしの違いは何故か?俺はもやしを売ることも忘れて集まったお客さんに伝え続けた。

 

 ふとお客さんのうしろをみると、アリオの店長、I販売促進部長が俺の行動を注視していたのに気付いた。自分ところの売り物を勝手に比較の対象にされてたのだから、俺はこっぴどく叱られると思った。が、その時は何も起きず店長、販促部長はその場を後にした。

俺の代わりに市役所職員があとで大目玉をくらうのだろうか…と申し訳ない気持ちになっているときに、販促部長がアリオの青果担当の社員証を首にかけた若い男性を連れてきて俺に紹介、「是非彼にもやしの話を聞かせてやってください」とおっしゃった。俺は彼にいつものように俺の信じるもやしのほんとうを話した。彼はただ黙って俺の話を聞いていた。「多分、この若い青果担当は何もわかっちゃいないだろうな」と、俺はその時そう思っていた。

 

 5日間の開催期間の間、俺たちの「ほんとう企画」は終始異様なテンションを保ち続けて無事終了した。大したトラブルも発生せず、そこそこの売上もあってメンバーの皆が満足して俺たちの大きくて大切なイベントの幕は閉じた。その後、大変好評だったということでアリオ側から市役所へ再びの出店要請があったようだが、残念ながら力を使い果たした俺たちは断った。

 

・・・・・・・あの時、俺たちが全力をかけて取り組んだ「ほんとうを伝える」は何かを変えたのだろうか・・・・

 

 あれから4年後、今年の4月のことだ。俺の携帯に突然電話が入った。

 

「飯塚さん、ご無沙汰しています。ヨーカドーのIです」

 

4年前のイベントでお世話になった、販促部長のIさんだった。イベント参加の要請だろうか?最初はそう思った。

 

「ずいぶんお待たせさせてしまいました。飯塚さんのもやしを置かせてもらえないでしょうか。つきましては一度御社へご挨拶に伺いたいのですが」

 

 そして忘れもしない今年の4月20日の午前、イトーヨーカドーアリオ深谷店のK店長、I販促部長、そしてもう一人は、4年前俺のもやし話を聞いた青果担当の方じゃないか。その彼、F青果マネージャーの三人が飯塚商店を訪れた。俺は三人にもやしの栽培現場を案内し、飯塚商店の深谷もやし、発芽大豆を試食してもらった…。

 

 そして平成27年7月8日、とうとう俺の育てたもやしが深谷で一番の商業施設の青果売り場に並ぶことになった。通常のもやしとは別の枠、地場野菜コーナーの入り口、一番目立つところに「深谷もやし専用冷ケース」が。俺は手製のPOPに「お待たせしました!」の文字を入れた。そして通常のもやしの1.5倍の価格の深谷もやし、初日はあっという間に完売した。予想以上の反響にF青果マネージャーは「お客さん、もう深谷もやしを良く知っているんですね」と感想を漏らした。それから3か月を過ぎ、売り上げはまったく落ちることなく高価な深谷もやしは1日平均100袋は売れ続け、現在に至っている。

 

・・・・・・・・

 

 「飯塚さん、この日にイベントやりませんか」

 

深谷もやしを冷ケースに並べている時に、Fマネージャーが提案する。そして俺は

 

「やりましょう。今度はもやしの出汁をしってもらうのに、もやしの味噌汁を。そしてご飯が美味しい時期だから『発芽大豆ごはん』で行きましょう」

 

 と二つ返事で了承。するとFマネージャーは、

 

「いいですね。全部試食用はこちらで作りますので、飯塚さんは体一つで来てお客さんに伝えてください」

 

とノリノリで返すのだ。そして開催したもやしの試食イベントは大好評で開始後30分程度でなくなってしまう。誰ももやしの姿、形、割高な価格に文句は言わない。俺の理想とする生産者、販売者、生活者の共通理解が、ここ「イトーヨーカドー アリオ深谷店」では構築された。

 

 …覚悟を決めたアリオでの「ほんとう」イベントから4年、今俺が求め続けていた「ほんとう」が同じアリオで実現したのだ。

 

それでももやしは伸び続ける

 

・・・・・・・・

これで月刊食生活の連載「それでももやしは伸び続ける」はまさしくほんとうに終了となった。

 

 さて、その後の展開だが…

 

 アリオ深谷店での深谷もやし販売はしばらく大好評を得ていたのだが、Fマネージャーの異動による交代、さらに飯塚商店側の単純な表記ミスがあり、その部分が問題視されて取引停止となってしまった。もともと強引に売り場に入った経緯もあって、アリオでは綱渡り的な販売だったようだ。残念だったのはお客様の問い合わせにも一切売り場に取り次いでくれなかったことだろうか。

 

 だが、私が感じた理想…「生産者、販売者、生活者の共通理解」は現在場所を変えて都内の高島屋、横浜高島屋、伊勢丹新宿店、浦和店、大宮、柏のそごう、大阪の阪神百貨店、近鉄百貨店、今年の5月からは神戸の阪急百貨店…と、確実に広がり続けている。

 

 現在も「安価な野菜の象徴」という呪縛に捕らわれてて適正な価格を打ち出せない国内のもやしであるが、それをうちやぶる一つの解決策が

 

「生産者、販売者、生活者の共通理解」

 

の構築じゃないかと私は信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは平成27年(2015年)のことだから…およそ10年前になるのか。自分が「月刊食生活」という食の総合誌に連載を続けていて「それでももやしは伸び続ける」のタイトルで楽しくエッセイの寄稿をさせてもらったが、その食生活が平成27年の11月号で休刊となってしまった。これはその食生活での連載の最後のエッセイになったもの。内容は私たちが集まればよく話している「アリオのほんとう」事件(笑)。2011年のこと。まだそんなものだったのか。もっと昔のことかと思っていました。

 

・・・・・・・・・

 

それでももやしは伸び続ける⑭ 

~“ゆめ”から“ほんとう”が生まれ、そして「本当」になった日  前篇~

 

 平成27年7月8日。この日は深谷のもやし屋にとって記念すべき日となった。深谷市内でも最大の規模と集客数を誇る商業施設「イトーヨーカドー アリオ深谷店」の青果売り場で飯塚商店のもやしと発芽大豆が販売されたのだ。期間限定のイベントではない。きちんとヨーカドーと契約を結んだうえでの通常販売だ。

 

……

 

 話は4年前、震災の影響が強く残る2011年の4月までさかのぼる。場所は深谷市公民館の大会議室。参加者はその7か月前に発足した、深谷市、市内事業者、市内学校関係者で構成される「深谷市産学官連携プロジェクト『ゆめ☆たまご』」のメンバー。俺も所属している。メンバーの一人がアリオ深谷店の販売部長から「来月開催される『地元名店市』に『ゆめ☆たまご』のメンバーで何か面白いことをやってくれ」と頼まれ、そのことで話し合ったのだ。どうせやるのなら単なる地元の物産展で終わらせたくない、しっかりとした今やるべきテーマを決めたい、ということでは一致した。問題はそのテーマだが…、すると俺の同郷の友であり、教育者、「もやし栽培キット」の共同開発者でもある小林真が手を挙げ、テーマは「ほんとう」でどうだろうかと俺たちに投げかけた。その時、小林はこう語った。

 

…俺たちはずっと、「ほんとう」が知りたいと思っていた。

けれども最近起こった「ほんとう」は、想像をはるかに超えた自然の恐ろしさとシステムの脆さだ。

次々と目の前に投げ出される「ほんとう」に、俺たちは何もできず、ただ立ち尽くすしかなかった。

大きな出来事とその後の世の中の動きから「ほんとう」がわかってしまった今、

これからの俺たちの「この社会」に「ほんとう」に必要なのは何だろうか。

俺たちは今回の催事で今俺たちが取り組んでいる「ほんとう」を伝えてみようじゃないか…

 

 その言葉はメンバーの心をとらえた。そして今回のアリオのイベントテーマは「ほんとう」に決まった。しかし、そこからが大変だった。想像してほしい。今の自分の生業の「ほんとう」が伝えられるだろうか?おそらく多くの人は簡単に言えないはずだ。本当のもやしとは?本当の野菜とは?本当の加工食とは?本当の飲食店とは?本当の役人とは?…みな自らを鑑みて頭を抱えてしまった。

 

 それでも「ゆめ☆たまご」を立ち上げた深谷市若手職員のF氏は、真剣にそれぞれの本当を打ち出そうとした。俺たちがとりあえず提出した「ほんとう」を「これではぬるい」と撥ね付けた。そうしていくうちにメンバー間で不穏な空気が生まれてきた。

メンバーの一人が開き直って「これでいいじゃないか」と書きなぐったような適当な「ほんとう」を提出してきた。F氏からすればみな必死に考えているのに、一人にだけ特例を認めるわけにいかないので当然受け入れない。そして会議は荒れた。俺も怒りを覚えてそのメンバーに激しい口調で非難をした。

 

「なぜ『ほんとう』が言えないのだ?おかしいじゃないか。じゃあお前は、本当が言えない仕事でお客さんからお金をもらっているのか?」

 

 小林や仲間の飲食店は何とかその場を取り持とうとしたが、F氏と俺は容赦しない。結局そのメンバーは今回のイベントは不参加となり、二度と「ゆめ☆たまご」に関わることはなかった。そして俺とそのメンバーとは絶縁状態となった。

 

 そんなこともありながらようやく参加メンバーそれぞれが伝えたい「ほんとう」が揃い、5月11日から始まるアリオのイベントに臨んだ。俺が掲げたほんとうは

 

「深谷もやし」

 

「栽培キット」

 

「埼玉県産もやし」

 

の三つだった。今、日本一高いもやしと言われている「深谷もやし」の概念はここから始まった。

 

それでももやしは伸び続ける

 2025年3月の第2週から第3週にかけては妙に慌ただしくも忙しい週でした。

まず10日の月曜日は大きな取引先の社長が来ました。

12日の水曜日は雑誌の取材がありました。

14日の金曜日は誰もが知る国民的人気番組の制作ディレクターが

来ました。撮影というか主にインタビューが中心でした。

翌週の17日月曜日はやはり別の取引先である会社の仕入れ担当者と、その会社のお客様代表の方が来ました。これらすべて普段の作業している中での応対でした。

 

 どんなお客様がいらしても、私のやることはひとつです。

私が思う「もやし」とは何か?、、、、それだけです。

暗い栽培室(ムロ)の中、生育中のもやしを掴みながら話します。

お客様たちはもやしを覗き込みながら真剣に私の話を聴きます。

ときにはお客様が思い浮かんだことを質問して、私は生産者としてそれに答えます。

 

 終わってお客様がお帰りになったあと、私はどっと疲れます、、、。

もともと人と話すのは得意な方ではないので、流ちょうに決まった言葉が出てこない中、

その時その時で精一杯にお客様に応えようとするから疲れるのでしょう。

 

 でも気づきました。もともと得意なことではないのに、長時間もやしのことを話せるというのは、場所がムロというもやしの世界であり、実際にもやしを掴かみ、そのもやしを見せながら話しているからなのだと。つまり私はもやしからエネルギーを貰っていたからではないかと。

 

 実際に遠くから来て、仕事の取引先であっても一般のお客様であっても大変満足してくださってます。これが営業といえどうかどうか?ですが、もやしに一番近いもやし生産者だから自分の言葉で思ったことを語り、それが取引先でもメディアでも一般の方でも届いたということじゃないでしょうか。

 

 

 深谷のもやし屋(有)飯塚商店創業者であり、初代代表取締役社長飯塚英夫(平成22年没 享年八十八歳)は第二次大戦において凄惨を極めた【インパール作戦】の生還兵であった。日本陸軍参加将兵8万6千のうち戦死者3万2千あまり。その大半が病死もしくは餓死だったと言う。生き延びた英夫は帰国後、その体験あって食に絡んだ仕事に従事、農業、青果卸と営みそして昭和34年に地元でも珍しいもやし生産業(有)飯塚商店を立ち上げた。

 

 父が亡くなって14年。そのくらい経てば忘れてもいいころだが、そうでもない。俺がもやし屋をやってるかぎり、忘れようがない。飯塚商設備には父が遺したものが沢山あるから。軍隊あがりの素人工事故、もう使わないもの、改良したものが大半になってきたが、それでも水槽、栽培容器、仕込みの容器はそのままだ。北風吹きすさぶ中、父と二人で配管工事やら、栽培容器の補修などをずっとやってきた。苦しかったが今となっては良い思い出だ。

 

 今年は特に暑かった。早朝からひとりでもやしを洗って、もやし詰めしてるときに、滝のような汗をかいたら、突然寒気がして、足ががくがくと震え出した。「あ、いわゆる熱中症の前兆かもしれないな」と思って、詰めたもやしの配達や発送は妻にお願いした。そして俺はヨタヨタと自宅に戻り、張ってあった水風呂に飛び込んだ。水風呂で火照った身体を冷やしながら、父のことを思い出した。父が体験したのはこんなものじゃなかっただろう。まさしく「その場で倒れたら詰み」だったはずだ。

 

 父はもやしの事は一切教えなかった。おそらく父はもやしのことは分からなかったのだろう。でも多くの事を俺に遺してくれた。借金もふくめて(笑)。そして俺が父から得た一番のものは、どんなことがあっても生きて行く力だ。

 

 妥協はしない。媚ない。それは持続可能な生き様じゃないから。

 

 これが正しいと信じた道を歩んでいく。そして多くの共感者の中で生きて行く。この道を指してくれたのは戦争経験をした父からであった。

 

 

 

 

 久しぶりのブログ更新です。

 

 どん底の中、怒りと何かに突き動かされてこのブログを始めたのが2008年だからもう16年も前のことになります。その頃はいつ潰れても不思議じゃない小さなもやし屋でしたが、お客様、理解者に助けられ、なんとか今も続けています。全然裕福ではありませんが(笑)、堂々と豊かなもやし屋です。

 

 自分の長男が結婚することになり、相手は昔っからよく知る近所に住むご家庭の次女であり、長男とは幼稚園の時からの幼馴染です。そしてその頃は私も幼稚園のPTA会長をやっていたので、もう他人という感じではないです。さらに相手の母親は10年以上深谷のもやし屋でパートとして働いています。目的のために真面目によく働く人です。

 

 私自身は、昨年60歳になり、体力的にもみるみる衰えが感じられ、さらにスタミナの低下、膝の故障、そして16年前から進んできた活動にも限界がきた感覚にとらわれ(コロナ禍という外的要因もあったかもしれません)、気持ち的に沈んでいました。ただ長男がよく知っている人と結婚することをきっかけに沈んでいた心が一気に晴れやかになりました。限界が見えてきたこれまでの道に新しい道が開けたような。その見えた新たな道はこれからの人生の指針と言っても過言ではないです。

 

 大きな目的はただ一つ。「幸せに豊かに末永く一族が暮らしていける」ことです。父が遺してくれたもやし栽培の施設、そしてもやし屋として生き残ったこれまでの経験、人脈が活かせそうです。その目的に向かって開拓し、使えるものは何でも使います。