24日(木)、東陽町のホテルイースト21において全日本豆萌工業組合連合会(全萌連)・工業組合もやし生産者協会主催の
『もやし業界発展のために』
というイベントがありました。農林水産省が後援、もやし業界、機械メーカー、関連食品会社、原料輸入商社、マスコミが一同に集まる講演会です。
非常に興味深い盛りだくさんの内容でしたが、私は早朝からの仕事をこさなせばならなく、残念なことに午後のほんの一部の講演しか聴講できませんでした。
それが野菜ソムリエとして活躍されてる霜村春菜 (わかな)様の講演でした。
霜村様とは以前にも取材で飯塚商店までお越しになり、その後野菜ソムリエ協会発行のメールマガジンでも紹介をされたご縁があります。
これまでの全萌連主催のイベントで野菜ソムリエが前面に押し出されることはなかったはずです。
昔ながらの飯塚商店のもやしのほか、大鰐温泉もやしといった伝統的なもやしや、(株)旭物産様といった最新式もやし工場を取材された霜村様がもやしをどのようにとらえ、もやしに対してどのような期待を込められているのか、非常に興味深く聴かせていただきました。
ここではその講演の中で、私が響いた箇所を抜き取って、私なりの感想を述べてみます。
・「味はひとつだけでない」
食べ物で最も重要な要素は“味”であると思います。われわれ食の生産者・提供者はまず自分の出す食が食べる人にとって美味しいものかどうかという基準をパスさせなければなりません。しかしその味の解釈は人それぞれです。霜村様は“美味しさの要素”を大きく
『五感で感じるもの』
『心理・脳で感じるもの』
『環境から来るもの』
と三つに分けました。つまりそれだけ味というものには広がり奥行きがあるものなのです。今、多くの人にもやしの味を聞くとどのような答えがあるでしょうか。
「シャキシャキ」
「みずみずしい」
その程度ではないでしょうか。もやしにも大きな味があります。その味は捉える人によって多様であり、一つの味には成りえまえん。私たちもやし屋はもっともっと“味”を意識して伝えなければならないのです。話の流れで
「根の部分が濃くて驚いた」
とおっしゃった霜村様。私たちはその「味を伝える勇気」を見習わねばなりません。
・「もやしをひとくくりにしない」
味の話とも連動しますが、それこそもやしは一つだけではありません。緑豆、ブラックマッペ、大豆・・・そのほかにも発芽したものを食用にすればすべてもやしであり、土地が変われば、水が変われば、作り手が変われば、味も変わってきます。なんのことはない。それは私たち人間と同じことです。均一ではない、多様であることが重要であり真理なのだと思います。もやしは多様なのがあたり前、そう考えれば視界が開けてくる感覚を覚えるのは私だけでしょうか。
・「もやしに服を着せる」
霜村様はパッケージングを“もう少し温かみのあるものに”と希望しました。私はそれを単なる絵柄だけの問題ではなく、
『私たちつくり手の心・温かみが伝わるようなデザインに』
と捉えました。工場内で大量生産される野菜、それがもやしの一般的なイメージでしょう。そのイメージから温かみはあるでしょうか。ではどこで温かみを伝えればよいのか。まずはパッケージでありましょう。小さな袋のかぎられた空間の中で作り手の想いを伝えられるか、それが『もやしに服を着せる』ことなのでしょう。
・「災害時の野菜供給源として」
これこそが私たちもやし屋が自らの経験を活かして貢献できる最大の場ではないかと思います。はっきり言いましょう。もやしなんて種と水、そして入れ物があれば簡単に出来ます。いつでもどこでも新鮮な野菜を調達できるのです。霜村様は「携帯もやし栽培キットがあればなぁ」とおっしゃいましたが、そんな必要もなく私たちが一つまみの豆をわたして言葉を添えればよいだけです。あとは空き缶だろうが、ペットボトルでもできるのです。その私たちの少しばかりの行動が、災害時野菜不足で困っている方々をどれだけ救えるだろうか、と思います。
やれ、もやしのコストを下げなければ、日持ちをよくしなければ、大量に生産し消費させて利益をあげなければ・・・そんなことばかりに明け暮れた日々を過ごしている私たちは、もう一度もやしの本当の価値を見直し、そしてその価値を生活者に伝えなければならない・・・そんな気持ちにさせたこの度の野菜ソムリエ霜村春菜様の講演でした。
