今回は少し原画展から離れたお話をします。
17日の土曜日のことです。もっともこの日も「もやしの原画展」の開催日でしたので、私は会場に就いていましたが、ある用事があって夕方近くに途中で抜けさせてもらいました。
というのはこの日は結婚祝い、妻の誕生日祝いを兼ねて都内のフランス料理店で夕食をする予定になっていたからでした。そしてそのフランス料理店というのが、以前ここの日記でも紹介した、私どもの手洗いブラックマッペもやしを使った
「究極のもやし料理」
を供する「R」でした。
この「R」は一見上品なたたずまいの中に、若き二人、オーナー兼ソムリエのK氏、シェフのH氏の情熱から迸る斬新さと激しさが同居する、非常に力強いフランス料理店です。もちろん私も妻もそのスープが一番の楽しみでありましたし、今回同席した10年来の友人である女優の石田佳名子
とそのお母様にも是非とも味わってもらいたいと思っていました。
・・・・・・・・・・・・・
食事が始まりました。ソムリエK氏のお薦めする鮮烈な飲み物と、シェフH氏が創り上げる芸術的な前菜を数皿堪能したあとに“それ”は運ばれてきました。
相変わらず美しく澄んだ黄金色の液体です・・・が、何か違和感が湧き上がってきました・・・・いつもと違うような・・・・
わかりました。このスープの表面の浮かぶ異質なものです。何かの油です。
私の表情を読み取ったK氏が絶妙なタイミングで説明をします。
「今回はくるみ油を加えました」
・・・・もやしに油・・・私はその意図をすぐに察しましたが、しかし食べ物は理屈よりもまずは食することです。
カップを持って一口啜ります。シェフの抽出の技術が上がったのかもしれません、それともいつもよりふんだんにもやしを使ったのでしょうか、このたびのスープは今までよりももやしがさらに強く主張していました。生命力がそのまま味となったような、ブラックマッペもやしの力強い風味は初っ端から豚肉のブイヨンが隠し味になるくらいに打ち負かしていました。しかしこのスープの真の驚きはその後に現れたのです。
「いつまでもいつまでも口の中にもやしの味がのこるのです」
これは以前食したスープにはなかった現象です。私も妻も、当然初めて食した石田母娘も言葉を失いました・・・。 口の中いっぱいに広がる馥郁(ふくいく)たるもやしの味と香り・・・・その心地よい余韻は、多少の時間がすぎてもゆっくりととどまり、粘膜を刺激してさらなる食への欲求を促します。この一口の液体がそこまで食べることの幸せを醸し出すのです。
驚愕の後は、私たちは感嘆の言葉だけで、さっとスープを平らげます。強い風味はしばらく粘膜に張り付いて・・・。そしてソムリエのK氏が頃合を見計らって、
「このスープの後では、並みの白ワインでは負けてしまいますので・・・」
と 新しいワインをグラスに注ぎます。私たちはそのワインで口腔の余韻をすすぐことによって、この究極のもやし料理の幕引きとなります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メインディッシュも終わり、恒例のHシェフが挨拶に来ました。私は率直に感動の言葉を伝え、そしてこのたびのスープの油について最初の感想を伝えました。
「スープに油が浮いている時、私はなるほどと思いました。もやしの味に最もかけているのがコクです。それを補うための油かと・・・」
と。ここまでがもやし生産者の限界でありましょう。そしてHシェフは、料理人として可能な“その先”について語るのです。
「はい。後はスープに油を足すことによって味の余韻が強く残るのです。いろいろ試しました。料理途中に油を加えると白く濁ってしまうので最終的に完成した後に垂らすことにしたのです」
とHシェフ。料理とはどれほど食材の可能性を広げるのでしょうか。料理人の料理と食材に対する情熱が、究極と思ったもやし料理をさらに先に進化させてしまったのです。 作り手として感極まっている私に対し、シェフが嬉しそうに話を続けます。
「実はつい数日前に発売された本に、私のブラックマッペを使った料理が載ったんです」
「えっ!?そうなのですかっ?」
「はい。それは料理人が読むような本で・・・・ちょっとお待ち下さい」
と、一旦厨房へ戻って本をとってくるHシェフ。その本のページを開いて私に見せてくれます。
その本は
『サーモン料理大全 』
という確かに一般家庭ではとても作れないようなサーモン料理が並んでいます。そしてシェフが開いたページを確認すると・・・・純白の皿の中心にパリッと皮の部分がローストされたサーモンが、琥珀色の液体の中で浮かんで見えます。皿の外縁の一角には黄色の花とクリーム色のピュレが添えられている・・そんな写真があり、そのタイトルに
『ブラックマッペのコンソメとサーモンのロティ 冬トリュフ入りのじゃがいものピュレ』
とありました。フランス料理の紹介でブラックマッペの名がこれほどまで大きく出たのは初めてではないでしょうか。その料理の解説文を読むと、
「おいしいだしが出る、と生産者からすすめられたブラックマッペのモヤシ。安価なイメージが強く、いかに“モヤシ臭さ”を抜くかが問題だった・・・・」
と冒頭から書かれていました。おそらくHシェフの言葉、そのままでありましょう。ここでいう生産者は今までの流れからして私ですが、正確に言いますと、私のブラックマッペをHシェフに勧めたのは、ブラックマッペの力を知るある野菜を愛する人です。
そして“いかにモヤシ臭さを抜くかが・・”のくだり、私は安っぽい食材という今まで(現在に至るまで)もやしが抱える悪いイメージの払拭にHシェフが心血を注いだ・・・という感があるのです。でなければ、どうしてあれだけのもやし料理を創ることができるでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不況の影響をうけて安価なイメージの「もやし」が大いに注目されている昨今です。しかし、このもやしという食材に大いに敬意を払い、イメージの払拭に努力している「R」のシェフとソムリエの二人に私は感謝の念を抱きます。そして、もやし屋であることを誇りに思うのです。