就職へのキーファクト | メモらんだむ

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思ったことを書くだけ

就職活動を必死でがんばっている学生さんにはなかなか辛らつな話になるのかもしれないが、

横並びのみんな同じ就職活動をしていては社会人になっても使える人にはなりにくい。
競争原理というのはどんなに、競争を望んでいなくても社会の中に場所を求めると必ずおきることだ。

その中で、求められるのは波のトップに立ち目だって図抜けていることか、
全く違った目線で勝負をかけること以外にありえない。

上位20%は何とか困難な中でも希望の会社に就職する。
残りの80%のうち、60%はまあどうにかこうにかうまく引っかかる。
80%中の最後の20%は思うようにいかずに、就職しないで失意に終わる。

これは表面上のストーリー。
実は正面から勝負しているだけでは社会はうまく行かない。

社会の中では上位20%の中で勝者が出るのではない。
就職がゴールではないと言うことをはっきり理解し、
うまく、自分が活躍できるフィールドを社会の中で探せた人にこそ、
社会と言う構造は喜びや、豊かさを保証してくれているだけなのだ。

いい会社に、希望の会社に就職しようなどという
ハマルかどうかなんてありえない。

OB,OG訪問などを行ってうまく行くと思っているのも少々おかしい。
それは、誰でもやっている手だし、箱の外に出ようとしていない自分に気付くべきだ。

自分の出会った先を最適のフィールドとして考え、
全力を尽くす。自分の置かれた状況を何か学べるなにか社会の問題発見をできるフィールドと考え、
必死で与えられたチャンスに全力を尽くす。
今の学生さんはとことん幸せだと思う。

サケの話を知っているだろうか?
海に降りる降海型、川にとどまる残留型とがあるが、
体力、能力などを圧倒するのは明らかに変化要因を受け入れた降海型なのだ。

現在から見る未来の日本はまさに変化率の少ない川そのものである。
国外に活路を見出せと言うのは今までチャレンジしてこなかった層に聞かせるのは酷かもしれないが、
実際はチャレンジしか人類を発展させられないし、自分自身を磨けない。

大きな困難やまだ見えない不安があるのかもしれない。
しかし、その不安と対峙したときにこそ自分磨きが始まるのだ。

一方で成熟社会経済発展のない日本の未来を容易に想像できる時代と言うのはどういう意味があるのだろうか?

時代変化の中で見てもこの変化は外国に日本人のすばらしさを教えてあげる時代になってきているのだ。伝道の時代なのかも知れないと考えることができる。

こうした目線でいくと日本がダメなら海外がある。

僕もインドネシア、アメリカ、メキシコ、ボリビアなど
海外に出て違う眼の開き方をしたのは事実だし、起業の時そのコネクションが
心の支えになったのは言うまでもない。

友人で高校を中退し何も当てがないで、ベトナムに渡って
現地の日本企業を回って就職先を見つけ、五年後に日本に帰ってきて
企業の役員になった奴もいる。

ロシアにロシア語もできないでわたり、そこで培った人脈で
いま、立派な会社の社長になっている友人もいる。

これからの日本は日本の中にとどまってしまっていては経済発展がない。
どんどん人口も減るし、国の借財の付けは未来の世代が負担するしかない。

この辺で、中国、ベトナム、インド、トルコなどさまざまに経済発展や
人口発展などを遂げる国にわたり、そこで日本での悔しさをぶつけるといい。

10年後には日本の大企業に就職した「勝ち組」たちが
眼の開けた、海外のネットワークを持つ、不安と戦える自分と全く
レベルの違う能力しか持っていないことに気がつくだろう。

Thinking outside the box!

ただ、こういわれても、「はいはい知っています。もう聞きました。」といって行動をとらない
人はきわめて残念。普通の人だ。

一歩踏み出す勇気のない人には、普通の未来しかない。
普通の基準が低くなりつつある現代社会では、普通のままでは危機なのだ。