随想(IV-13)予言・都市伝説⑥ | matsurinosatoのブログ

matsurinosatoのブログ

NGO日本まつりの里は、全国47都道府県にそれぞれのNPO を置き、古来、主に神社と氏子によって受け継がれて来た、伝統文化「まつり」を求心力とする6次産業形式の地方振興事業連合です。

随想(IV-13)予言・都市伝説⑥                        

 ※前回 随想 IV-11 予言・都市伝説⑤ と番号を打ってしまったのは

随想(IV-12)予言・都市伝説⑤の誤りでした。訂正します。

 

引き続きショーゲンさんと村長の話を続ける。

そのために必要なのは日本人だと日本人の役割にも触れている。ここまでは日本人と縄文文化がキーワードになっている。少し脱線するが、最近色んなところで縄文文化が注目されている気がするのは私の思い込みであろうか。

 

 

日本の歴史の時代区分の中で長いのは、平安時代約400年、江戸時代約270年等であろうか。これに比べ縄文時代は先に書いた通り1万年以上も続き圧倒的な長さを持っている。その後の弥生時代でも約700年である。

 

(これに比して学校の歴史教教科書では縄文は精々2~3ページである。分からないことが多いからか。或いは現代の価値観を持っている私たちから見たら歴史というべきものが少なかったからだろうか。文献が残っていないからなのか。)しかも戦や争いの痕跡が少ない、または殆どないという(当然所説ある)。つまり1万年以上もこの日本の地に平和が続いたということになる。

 

また縄文文化と言えば縄文土器が有名であるが。この土器はかなりの高温でないと焼けないらしい。何をもって、何の材料で高温を得ていたのか。高度なしかも自由な精緻なデザインで創られている。一見、竪穴式住居の原始的な生活で、手労漁労のその日意暮らしのように見えるが一方では高度の土器、平和な時代の持続など人間の生活に何か大きな秘密が隠されているかも知れない。土器をつくりそれを使って生活していたということはある意味定住していた事をも示している。(重い土器をもって遠くまで移動することは不可能)

 

 

 しかし高温でしか焼けない高度な土器を持っておりながら何故にこれと言った遺物が少ないのだろうか。衣食住すべてに関して残っているものが圧倒的に少ないのだ。或いはこれから発見されるのだろうか。(謎である)

 

 

 ショーゲンさんと村長の話に戻る。

もしかすると日本人にいい加減に気づいてくれということで、2025年の7月にターニングポイントとしてある出来事が起きると言っているかも知れない。それは悲観することじゃなくてすごく明るい未来へ、本来の日本人が持っていたであろう、みんなで生きていくという喜びや生きる本質を捉えていた日本に戻って行けると言っている。

 

そんなきっかけのタイミングになるかもしれないという。今一度自然を大切にして、虫の音にも心地よいメロディとして耳を傾けて自然にも会話をしながら土とか葉っぱとか、木々とか、木漏れ日にも、会話をしながら自然と生きていくっていうのはどういうことなのか。そしてみんなで楽しく生きていくということはどういうことなのか、これから学んでいけたらいいなとショーゲンさんは言う。

 

都市伝説を書く予定だったのが、ついつい縄文文化を知る現地アフリカ人の人達とのとのふれあいを中心に、脱線してしまった。もう少し村長の話を続ける。

 

当時の日本人は「あるということに」目を向けていた。今は「ない」と言う部分に目を向ける人が多い。あの人と比べて自分はこれが足りないあれがないこれが劣っていると。あるないという点で見ると「ある」っていう方が多い。

 

こういう風に会話もできているし、呼吸もできているし、外に出たら光り輝くお日様を浴びることができるし、心地よい風も感じることができる。ショーゲンね、この世の中には「ある」っていうことの方が多いのだよ。それを感じられていたのが本当に日常に溢れる小さな喜びを感じられていたのがあなたたち日本人だったはずでしょ。それをちゃんと理解できるそんな時がもうすぐやってくると言う。

その時のために、お金でつながるのではなくて、人に地位とか名誉とか求めるのでもなく心でつながれる。そんな方向にみんなで向かって言ってくださいと。そして日本人であることのプライドを取り戻してね。虫の音がなぜ心地よくメロディとして日本人は聞こえるのかということを理解してください。彼らからの言葉を借りるのであれば、血の中に流れる日本人の記憶っていうのを思い出してねと。以上がブンジュ村の村長のおじいちゃんの話であり、これからの日本についての予言でした。