私の家のまわりで、ムクドリがずいぶん増えているように思いました。
で、ふと思えば、スズメを見かけることが減っています。
近所の公園の芝生。
10年くらい前はスズメがメインでムクドリ少々という図でしたが、
このところ気にして見ていたら、その芝生でスズメを見ることがありません。
気になってネットで調べてみると、
都市部ではスズメが減り、ムクドリが増えているようです。
スズメが減った原因は、家の作りが変わってきたことがあるそうです。
スズメが巣作りする軒先などの「すきま」が無くなってきたからだとか。
逆に都市部では木が大切にされて、木に巣作りするムクドリは増えているそうで。
そういえば、数年前には、よく信号機や電柱の機器のすきまで巣作りしているスズメも見かけましたが、それも見なくなりました。
おそらく、保安上、巣を作られないような対策が進んできたのかしらと。
そんなわずかな「すきま」も与えられなくなってしまったのですね。
陽だまりで、スズメがチュンチュン。
のどかさの象徴のような風景も、いつか見られなくなってしまうのでしょうか。
ムクドリも全国的に見ると減っているとか。
もともと農地にいたムクドリも、いまは農地が住みにくい環境になったようで、
都会の公園などに生きる場所を見つけたようです。
ムクドリたちも大きな意味での日本の「すきま」を見つけて必死に生きているんでしょうねえ。
わずかな「すきま」。
大事ですよねえ。
いろいろなことで、なんだかどんどん、
「すきま」がなくなってきているような。
自分の暮らしを省みてもそうですが、
密閉性の高いマンションで、一年中快適に過ごして、
移動は、乗り換えアプリと、マップのアプリで、一番効率よく、時間通りに。
スマホでいつでも本も読めるし、動画も見られる。
家族や友だちとの連絡はLINEやメッセンジャーでいつでもつくし。
知り合いの様子はSNSでいつも知っているし。
空間にも時間にも「すきま」がなくなってしまっているかも知れません。
当然、心の「すきま」もないので、
ふっとそこに入り込んでくるなにかとか、
風のようなものに気付けずにいるように思わないでもない。
誰かのことを思えるのも、
その思いを宿せる心の「すきま」があってこそ。
心に「すきま」もなくギッシリと詰め込んでしまっていたら、思いを宿すこともできないですものねえ。
「恋が減っている時代」
なんて誰かが言っていましたが、恋を宿す「すきま」が減ったからなのかも。
ちょっと、すかすかにしてみようかしら。
すきま風だらけも、また良しかも。
今日もイイ日に。