蜘蛛の糸 | 今日もひとこと、ほめてみた。

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ほめるのは、ちょっぴりの勇気で、びっくりの展開。
日本ほめる達人協会 顧問 松本秀男

縁の糸、赤い糸、蜘蛛の糸。人と人を結ぶ糸の存在を強く感じることが最近多くあります。

 

昨日も羽田空港で、ばったりと懐かしい仲間と会いました。

 

途切れたと思っていた糸が、実は細くてもつながっている、そんなこともありますよね。

 

ふと、20年ほど前に書いたエッセイを思い出しました。

 

以前、このブログにアップした「フォークダンス実行委員会」と同じシリーズです。

 

Windows95の時代、まだホームページも珍しい頃。

知り合いが立ち上げた通販サイトのアクセス数アップのために何回か連載した、

 

「机の上の大通り」

 

の第6話です。

 

机の上、つまり「デスクトップ」が、インターネットの登場で大きく変わり始めた頃に書きました。

 

まだフェイスブックもツイッター、携帯もない時代。

 

「パソコン通信」と呼ばれた匿名のチャットで、見ず知らずの男性との夜中の会話の、ほんの小さなお話です。

 

 

 


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最近、僕の部屋の、それも机の上の、
人通りが激しくなった。
往来を行く人たちと、僕との、
ほんの小さな物語。

「机の上の大通り」

第六話 蜘蛛の糸

 

真夜中のチャットは、思いのほか素直になれてしまうことがある。

見ず知らずの人々とネット上で出会い、どうでも良い会話を続けているうちに、その場から一人減り、二人減りして、最後に残った二、三人は、別に相手が誰であろうと、別に僕が誰であろうと、それは大きな問題ではなく、ふと相手の心の中身を垣間見て、ふと自分の中身を見せてしまう。

ことに午前三時の辺りでは、ある種おだやかな、現実社会では有り得ないような、初めて話す人との接触が起きることがある。

相手の姿が見えないことや、社会的な関係のないことや、環境に会話が左右されないことなどが、逆に相手を真正面から見ることにつながるのかも知れない。

相手の仕草、目線、服装、温度、湿度、部屋の風景、周囲の音、向き合う距離感、まわりの他人、そんな雑多な情報がないことが、相手を知る上で余計な憶測や懐疑を省いて、直接相手の心につながれることがあるのかも知れない。

 

「目が見えなくなって、初めて見えるものもあるんだよ」

ある失明した人が昔僕に言った。

健常者のままでそれを理解することは僕にはきっと出来ないだろうけれど、その端緒は少し感じられると思った。

情報は多いに超したことはないだろうけれど、真実は量で知らせるものでもない。

 

八戸のその彼とも、ニフティーのチャットで一度だけ会話をした。

夜中、数人の他愛もない会話から始まり、最後に僕と彼だけが残った。

何も具体的な自分の身の上なんて話しはしなかったし、少しも深刻な雰囲気ではなかったが、何か、彼の今いる暮らしや、彼の今の心の向きなどが、少し感じとれる会話になった。

 

「何も不満はないけれど、何も満足できないしね」

 

八戸と言う、北の、太平洋に面した、大きな町の、青い空の下に、そんな彼はいる。

彼が実際どんな風に吹かれ、何を見、何に煩わされているのか、知る由もないが、ふと、彼の心の色だけは見えた。

 

「ぼんやりとした不安って奴ですかね」

 

初めは僕はその台詞にピンとこなかったが、彼のフォローで思い出した。芥川龍之介の最期の台詞だ。

死ぬんじゃねえぞ!と僕は冗談交じりに言った。

 

「死んでも死なない」

 

照れ臭い言い方だが、なんだか僕は、見ず知らずのその彼の暮らす姿に、愛おしさを感じた。

彼と僕とは今、細い細い蜘蛛の糸のような回線で繋がっている。

蜘蛛の巣と言われるインターネットは、世界中を覆い尽くす立派で強固なものであるけれど、一人一人を繋いでいるのは、細く頼りなげな蜘蛛の糸である。

どちらがどちらに伸ばした糸なのか分からないけれど、今この瞬間、糸は細くとも、強く、繋がっている。

 

「遅くまで、ありがとう。明日も頑張りましょう」

 

ほとんどのチャットがそうであるように、結局お互いの具体的なことは何も話さず、再会の方法も決めることもなく、僕らは会話を終了した。

 

モニターから両者の名前が消える。

 

ぷつりと切れた蜘蛛の糸が、夜空を舞う。

 

今年の春、親類の結婚式のために岩手に行った。

式の前日に行ったので、少し自由な時間があった。車を借りて、かみさんと何処かへ行こうと言うことになり、ふと思い出して八戸まで行ってしまった。

丁度ウミネコが産卵のため来ていると言うので、蕪島(かぶしま)に行ってみた。青空の下、藍い海を背景に、数万羽のウミネコが小さな島いっぱいにうごめき、飛び交い、その独特の鳴き声は島の遥か遠くまでを覆っていた。

売店で貸してもらったウミネコの糞よけのビニール傘をさしながら、八戸の市街地の方角を眺めた。

蜘蛛の糸のもう片方の切れ端は、この町の何処かで風になびいている。そしておそらく僕が握ったままにして、時折眺めているこの切れ端と、繋がることは二度とはないだろう。

 

「ま、お互い頑張ろ」

 

ボタボタとビニール傘を直撃するウミネコの糞の音を聞きながら、ただそんな風に、思った。

 

 

(1997年初出)


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手の中にある糸の切れ端。

それも生きた証ですよね。

手放さなくてもいいと思っています。

 

今日もイイ日に。

 

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