今日は、久し振りに二世信者らしいエピソードです。
7.迷走のでサラッと流したものの詳細です。
7.迷走では、「小学生の頃好きだった男の子が創価学会だった」って話を書きましたが、今回は高校生の時の話。
恐らく、このブログ読んでる人の中には高校時代の友達もいるかもしれないと思ったのでずっと伏せてきたんですが、もう時効だから良いかなと思って書いちゃいます。
散々騒いでたお前ら、せいぜい喜べ!
※当時の私のキリスト教に対するイメージの記述が、あまり気分のいい内容ではないと思います。クリスチャンの方はご気分を悪くされる可能性があるので、読まれないほうが良いかもしれません…。
高校3年の秋だか冬だかのことです。
ある日、仲の良かった男友達と2人で下校していた時のこと。
その男の子が、「この間、〇〇(同級生)に誘われて、吉祥寺にあるキリスト教の教会に行ってきた」と話してきたことがありました。
彼は無宗教でした。
(確か、彼には私の家の宗教のことを話していなかったと思います。覚えてないけど、多分。)
私は驚いて、「え、吉祥寺のどの教会?動物園の近く?」と聞きました。
彼は「車で行ったからよくわからない」と言っていたので、その教会がどこの教会なのかは結局わかりません。
調べたところ吉祥寺には、カトリック、プロテスタント、末日聖徒イエス・キリスト(モルモン教)の教会がありました。
私は電車の中で「えー…、どれだろう…」と考えながら、携帯の画面を見つめていました。
当時の私が抱いていたキリスト教のイメージは、《綺麗事言うわりに残虐な宗教》というイメージでした。
(キリスト教の方ごめんなさい💦)
キリスト教徒に対しては、《ニコニコしてて良い人だけど潔癖で極端で、裏表がありそう》というイメージを持っていました。
(本当ごめんなさい💦)
基本的に私は、【宗教】に対してめちゃくちゃ警戒心が強かったのです。
日蓮正宗が私にとってクソなのは勿論ですが、そもそも【宗教】そのものを憎んでいたのでキリスト教も同様でした。
「宗教なんてこの世から消えちまえ」とよく思ったものです。
キリスト教に関して父はよく、「聖書には矛盾点が多い」「人が磔にされた像を拝んでいるんだぞ。悪趣味な宗教だと思わないか?」ということを言っていました。
母は母で「聖書なら読んだことあるけど、差別を肯定するような記述もあって私はあまり好きじゃなかった」という意見でした。
私はそれらを確かめようと、何度か聖書を読もうとしたことがありました。
(多分母の物でしょうが、家には新約聖書がありました。)
でも、読んでも意味がわからないのと文章の雰囲気が好きじゃなくて、結局いつも1〜2ページで読むのをやめてしまいました。
なので私の持つキリスト教のイメージは、親から聞いた話や、アメリカのドラマ【ルーツ】で見た西洋人の残虐さを掛け合わせたものだったように思います。
まぁ、魔女狩りとかユダヤ人迫害とか、キリスト教が残酷なことをしてきた宗教だっていうのは事実なんでしょうけど、ちょっとそういうイメージが強すぎたのかもしれません。
彼は、そういった先入観は無かったように見えました。
伝統宗教【キリスト教】だし、誘ったのが仲の良い友達ですからね、そりゃ警戒心無く行けちゃいますよね。
一方、私は1人で勝手に不安になってました。
一口にキリスト教といってもいろんな考え方を持ってるところがありますから、「どこなんだろう、本当にキリスト教なのかな…。妙な自称キリスト教とかじゃないよね…?」と、内心気が気じゃなかったです。
本当は根掘り葉掘り聞きたかったんですけどね(笑)
あんまりしつこく聞くと変に思われそうなので控えました。
彼はその後も何度か教会に行ったそうです。
Twitterで、「教会の人達はみんないい人だなぁ」みたいなことを呟いているのを見ました。
私は複雑な気分でした。
宗教で嫌な思いをしてきた身としては、何故自ら宗教に関わろうとするのか理解に苦しみます。
「宗教なんて、関わらないで済むならそれに越したことはないのに…」と思っていました。
同時に、「面白半分でこっち側に足を踏み入れないでほしい」とも思っていました。
せっかく無宗教の家に生まれたのに、興味本位で宗教に関わろうとすることに嫌悪感を抱きました。
以前のブログでも似たようなことがありましたが、面白半分で宗教に手を出す人間が本当に憎かった。
そんなの本人の自由なのにね💦
私は私で、これ以上宗教に関わりたくなかったし、彼が宗教の世界に足を踏み入れて、自分とは正反対の立場になることが不安だったのです。
→つづく