学校での生活はいつも、自分と同じような境遇の人間、つまり二世信者の子を探していました。

ひとクラス40人であれば、私のような隠れ二世信者が4人はいても、なんら不思議はありません。もしかしたらもっといるかもしれない。

私が把握できただけでは、小学校の時同じクラスで過ごした人の中に3人二世信者の子がいました。


1人は3年生の時に転校してきた女の子で、キリスト教(のどこかは知りません)の家の子でした。

私と彼女はお互いの宗教のことを知って、よく昼休みに2人で宗教の話をしていました。


2人目は5年生の時に同じクラスだった男の子。
習字の時間に聖教新聞を持ってきていて「何その新聞」「聞いたことな〜い」と周りに言われて必死に隠してました。
男の子だったので彼とはなんの話もしませんでしたが、彼は家の宗教が嫌だったんじゃないかなぁと思います。


3人目は、1年から5年までずっと同じクラスだった男の子で、恥ずかしながら私の初恋の男の子でした。

1年生の時から好きだったんですが、お互いの宗教のことが発覚したのは3年生の時でした。

帰りの支度をしている時、私は父から御守りにと持ち歩かされていた御数珠をランドセルから落っことして、それを見た彼が「俺もそれ持ってる!」と言いました。

彼は
「池田大作知ってる?」
「知ってる!」
「ホント?!おれんち日蓮宗なんだ!」

ん?

彼の口から出たのは日蓮正宗ととてもよく似た名前でしたが、1文字たりない…

「うち日蓮正宗だよ?」

彼も、ん?という顔をしました。

2人して一瞬「ん?」となりつつ、それでも共通の仲間を見つけたと思いお互いにすごく嬉しかったのを覚えています。

本当に嬉しかったです。まさか仲間がすぐ近くにいて、しかも相手は好きな男の子。その日の夜、父親に彼との話を話しました。

「その子、多分創価学会だね」

んん?

前にも書きましたが創価学会は日蓮正宗と袂を分かった教団です。
お互い、自分とこの新聞にあることないこと悪口書きまくってる間柄です。

「彼を折伏しなさい。明日その男の子に、『創価学会はいけないところだよ』と教えてあげなさい」

まじか…
言葉がなかったです。
てっきり同じところだと思ったのにまさかの敵方?何?ロミオとジュリエット?

ただ彼と仲間になりたかった私は、次の日帰りの会が終わってさっさと教室を出た彼を追いかけて、階段で声をかけました。

「ねぇ、創価学会は…」
「あーーーーーー!」

彼は耳を塞いで叫んで、私の言葉を遮りました。

「ねぇ聞いて!創価学会はダメ…」
「あーーーーーー!」

やっぱり遮られます。
諦めました。

恋をじゃありません。父から言えと言われた言葉を言うことをです。
別に自発的に言おうとしたわけでもなかったし。

帰って父に報告し、「勤行の時に彼を折伏できるようご祈念しなさい」と言われて、勤行の時にはいつも祈りました。

正しい教えと信じていたからではありません。
私はただ仲間が欲しいだけでした。
そして、彼が同じ日蓮正宗になれば恋愛も上手くいくかもしれないなんて思っていました。


それからの学校生活では、特に無視されたりとかいうことはなく、彼とはそれまで通り普通に過ごしてました。

彼のご両親の雰囲気的に、やっぱりご両親とも信仰に熱心だったんだと思います。

なんだろう、熱心な人とそうじゃない人って、なんとなく雰囲気でわかります。



あの、学校でたまに配られるマグネットの子供電話相談室的なところに一度だけ電話したことがありました。

「好きな人の宗教団体と私の家の宗教が仲が悪いのですが、どうしたらいいですか」

と言ったら、

「恋に宗教は関係ないからいいじゃない」

と言われました。

ん?おかしいなぁと思いました。

「だから、お互いの宗教同士が仲悪いから難しいんですけど…」

「だって恋愛は自由なんだから宗教は関係ないでしょ?」

「あ、ハイ、そうですね…」



もう二度と電話しませんでした。
話が全く噛み合わなかった…。

特定の信仰をしていない人はこんなにわからないものなのかと驚きました。

中学生の時知り合いの大人に「家で宗教しているのが嫌だ、やりたくない」という相談をしたことがありましたが、「宗教は自由なんだから、嫌ならしなくていいじゃない」というような答えが返ってきた時もびっくりしました。

信仰することを親から強要されてきた私の感覚と、無宗教の人たちの感覚があまりに違い過ぎた。

信仰を強要される人間に、宗教の自由などありません。生まれた時から親に決められて、教育されます。

どうせ普通の人に言っても話が通じないんだと気づき、そして同じ信仰をしている人間に相談することは無理でした。





ちなみに彼は5年生の時に可愛い同級生に告白され、私の恋も終わりました。





また、小学3年生のころ私は仲間欲しさに友達の女の子に「一緒にやろうよ!」と声をかけたことがあります。
次の日「お母さんに言ったらダメだって」と言われましたけどね。

今思えばいじめに繋がりかねない危ない行為だったと思います。

何より友達のお母さんは、自分の子供の友達に変な宗教の子がいるとわかってきっと怖かったでしょう。

それでもその後も普通に接してくれて、家に遊びに行けばお母さんは普通に出迎えてくれました。

本当に感謝しかないです。
いつか機会があればちゃんと謝りたいくらいです。

結局、小学校でも中学校でも高校でも、仲間を見つけることはできませんでした。









日蓮正宗では、信仰を子々孫々にまで伝えることで、自分自身と、過去に謗法を犯した先祖も成仏できるという教えがあります。

親は子供に信仰をさせ、孫ができたら孫にも入信させようとします。
当然ながら、結婚相手にも信徒になることを求めます。
(だからさっきの子供電話相談室のくだりで私はがっかりしたのです。宗教が違う=結婚は難しい=そもそも恋人関係にすらなりづらいので)


なので結婚の際は揉めますね。

ネット上で1番多かったのが、無宗教の人が日蓮正宗の人との結婚、子供の入信のことで困っている話でした。

無宗教の人は、結婚にあたって入信すること自体はあまり気にしないみたいですが、入信した後の結婚生活で要求されたり制約があったりで「こんなはずでは…」と嘆くケースが多いようです。

まさに我が家がそうでした。

うちも父が結婚の際に母を折伏してますが、母はその後信仰からは離れ、宗教が絡むことで度々ぶつかってました。


小学生の頃から私は父に「結婚相手は必ず折伏しなさい」と言われていました。

失敗したやつがよくそんなこと自分の子供に言うよなぁと思ったけど。

なので結婚は諦めました。 

折伏めんどくせーし、どうせドン引かれるし、例え受け入れてくれたとしても相手方の実家と揉めそうだし、絶対嫌な思いさせるし自分も嫌な思いするのは目に見えていた。


だからといって一度も好きな人ができなかったわけでもないです。


ただ、たとえ好きな人ができても

「この人うちの宗教に巻き込むのか…」

「もし付き合えていつか結婚ってなった時、折伏しなきゃいけないのか…」

「普通に考えたら気持ち悪いよなぁ」 

と思うとなんかもうめんどくさくていつも何もしないまま放棄しました。


じゃあなぜ今恋人ができたのかというと、まぁ一人立ちしてその頃とは環境が変わったっていうのと、最初は別に好きでもなんでもなかったからです。

(そういや中学生の頃に一回だけ告白をしたことがありましたけど、あれもただの憧れに近かったように思います。)



勿論、人として普通に好きでしたが異性として見たことは皆無で、結婚のこととか全く考えなかったからです。

仕事のストレスで精神的に参ってる時に面白いアピールのされ方をされて「まぁいっか、もうどうにでもなれ〜」ってなっただけです(笑)

一応知り合いだからプロフィールは知っていて女癖悪いのも知ってたので、どうせ遊ばれるだけだろうし遊んでやるかみたいな、結構投げやりな感じでした。
そもそも自分を好きだっていうのがもう嘘くさ過ぎる。

なので早い段階から宗教のことも話しました。



彼はブッダを宗教家ではなく哲学者として信奉しているらしく、

「お釈迦様は読経は人格を破壊するからやめなさいって言ってたんだよ」

「ブッダもキリストも、別に本人は自分が宗教家だなんて一言も言っていない、弟子が勝手に祀り上げたに過ぎない」

というような話をしてくれました。



えーーー!私が今までしてきたことって何?!(´⊙ω⊙`)

馬鹿馬鹿しくて笑っちゃいましたね。

それが真実か偽史かは別として、かなり気持ちが軽くなったのは事実です。

そんな相手でも、まぁプロフィールのせいもあるでしょうけど心開けるようになるのに丸1年かかりましたけどね。

1年くらい「けっ。都合のいい事ばっか言いやがって」と、ずっとシャッター閉じたまんま接してました。 

私も気持ちに嘘ついて接してきたのでそれはそれでしんどかったです。





これまでの自分の所業を振り返ってみると、私今まで何やってたんだかなぁと今更ながら思います。

1人で仲間を探して迷走しまくり、思春期に思うように恋ができなくて二十歳超えても迷走しまくり…。

超恥ずかしい…(笑)

これからいろいろ落ち着きたいです(笑)