何かの宗教を信仰している人や二世信者が故に宗教的教育をされてきた二世信者が見た世の中と、何か特定の信仰をしてこなかった人から見える世の中はちょっと違って見えてる気がする。
気がするっていうか実際そうなんだろうけど。
そうでもなければ、オウムのような大事件は起こらないだろ。
彼らは多分、彼らにしか見えない世界が見えていたのだと思う。
教団外の人間から見たらあんなの狂気の沙汰でしかない。
何か特定の信仰をしてる人としてない人では、別の世界を生きているような気がする。
二世信者は、生まれた時からずっと知らないうちに親から信仰を植え付けられている場合があるから、だんだん周りと違うことに気づいて悩むことがある。
自分のものの見方と、周りの友達のものの見方がちょっとズレていることに気づく時が来る。
私も友達と自分では、住んでる世界がちょっと違うっていう感覚があった。
例えば政党のポスターが貼られてる家を見ると、政党によって、「あ、この家は学会なんだ」とか「幸福の科学なんだ」とかがわかる。
まぁ親戚や知り合いから貼ってくれって頼まれて貼ってる場合もあるだろうから、必ずしもその家がその宗教だとは断定できないけど、日蓮正宗のようにそれを目印に勧誘してくる宗教もある。
大人ならそのポスターの意味をみんな知っているだろうけど、これを小学生のうちから察する子なんてそんないないよね。
赤青黄色を見て創価学会を連想したり、「霊波之光」とかいうちょっと変わった、一見何の建物だかわからないような名前が書いてある建物を見てそれが宗教団体の会館だなんてわかる小学生はかなり少数派だろう。
友達と遊んでるときは一緒の世界を見ていても、それ以外の時、家で勤行あげたりお寺に行っているときは、友達といる時の世界とはちょっとズレた場所にいる気がしていた。
ハリポタとかで、壁を通り抜けると別世界に行くあの感じに近いかも。
幼い頃に父から宗教的な教育をされてきた私は、多分クラスの子よりも世の中の宗教に少しだけ詳しかったと思う。
日蓮正宗は折伏のために他の宗教について学ぶ人も多い。
そういう知識をつかって、折伏するときに
「あなたの宗教はここが矛盾している」とか
「あなたのとこの教祖は以前こう言っていたが今はこう言っている。これはどういうことですか?」
と相手の非をつっつき、日蓮正宗の教えが正しいことを主張する。
もちろん人によってやり方は様々なのでもっと穏やかな人もいると思うが、少なくとも私の周りにいた人間はみんなこんなだった。
だから私も父から、創価学会がいかにして破門されたのかとか、キリスト教の成り立ちや矛盾点やここが差別的だのなんだの、他の仏教の成り立ちやざっくりした教義や、神道のような多神教については「神がたくさんいるなんておかしな話じゃないか」などの、【他の宗教のおかしな点】をよく聞かされ、同時に日蓮さんが斬首の刑にされそうになった時に光り輝いたとか、ピンチの時にあれこれ不思議なことが起こったという奇跡談を聞かされた。
今思うとその辺のカルト教団と何が違うのかさっぱり分からん笑
年に1回くらいの頻度で決起大会なるイベントがあるんだけど、そういう場では必ず信徒の体験発表の場があり、「唱題を頑張ったら医者から治らないと言われた病気・怪我が治った」だの「勤行をきちんとするようになってから、日々のいろんなことが上手くいくようになった」だの「折伏をしたら、問題だらけだった相手の家庭が不思議と落ち着いた」だのという信者の奇跡体験談を散々聞かされたな〜。
私が受けてきた宗教的な教育というのは、他の宗教がいかに間違っているかということと、自分たちが信仰している教えがいかに正しいかというものだ。
そして、他の宗教に関する父から教わった知識(もうほとんど覚えてねーけど笑)の中身もだいぶ偏っていたということが、社会人になってからだんだんわかってきた。
うちの父も、他宗教の教えと自分たちの教えを比べて都合のいいところだけを説明してたんじゃないかなぁ、多分。
そして自分が知っている宗教の知識が、本当にごく限られた一部分だけであることを知った。
宗教について人より知ってるつもりで実は何にも知らなかったんだなと、本当に最近になって気づいた。
宗教というのはとても複雑で、1つの教えを全て説明するのはかなり難しいだろう。
何が真実で何が偽史かもわからない。
それなのに信徒たちは「これが正しい!」と言い切っている。
そのことに私はずっと不信感を抱いていた。
「自分たちこそ正しい」なんて断言出来てしまう人間ほど信用できないやつはいない。
だから今でも、何か特定の信仰を持つ人をちょっと色眼鏡で見てしまう。
そして多分、自分も人から色眼鏡で見られている。
彼と付き合う前にデートした際、宗教の話をしたらまぁ当然ながら驚かれた。
彼は私のことを多分、かなり壮絶な過去を歩んできた人間だと思ってるっぽい。
というか、子供の頃から信仰を強要される体験をしたことない人からしたら、現実感がないみたい。
最近神社にお祭りに行ったら「鳥居くぐっていいの?」「あれは大丈夫?これは大丈夫?」と冗談めいて言ってきた。
身の上話をする時はちゃんと真剣に聞いてくれるので、そういった冗談というか軽い宗教イジリみたいなこと言われてもサラッと受け流すけど、やっぱちょっと特殊な人間だと思われてるのかなとは感じなくもない。
ただ、逆に「大変な思いしてきたんだねぇ…」としんみりした空気になるのはもっと苦手だ。
まぁ物珍しいんでしょうな。
二世信者って自分の家でやってる信仰のことをなかなか表向きに言わないから。
実際「周りにそういう人が居たことないから新鮮だ」って、何人かに言われたことあるし。
断言するけど絶対居たね、誰も気づかないだけで。
私は無宗教の人をちょっと下に見てしまうことがある。何の神様だかもわかっていないくせに手を合わせていることが滑稽に感じた時期もあった。
ただ無宗教の人と私の感覚はだいぶ遠く、みんなそんなこと全然気にしていないらしい。修学旅行に行けば「学問の神様らしい」と聞くなりみんな有難がって手を合わせていた。
たまに、無宗教の人はちょっと無神経だと感じることもあるし、向こうからしたら私はちょっと変わり者なんだろうなとも思う。
高校の授業で社会科の先生が「写経良いですよ〜おススメです」なんてお気楽に言っていて、それにものすごい怒りを覚えたことがあった。
今思うとほんとくっだらないんだけど、当時は「宗教的なものを生徒にオススメするなんて信じらんない!これだから無宗教の人間は何にも知らないで!」と内心怒り狂ってた笑
(この場合の「知らない」は、知識の問題じゃなくて、感覚の問題というか気持ちの問題というか…う〜ん伝わるかな?)
アホだよなぁ…
自分は嫌なのを我慢してやってきたものを、そんな遊び半分の気分で首突っ込もうとするなんてって思った。
普段は面倒な儀式とかしなくてすむくせに、やりたい時にだけやろうとすることが物凄くずるい事に思えた。
そんなお気楽なノリで宗教に関わろうとする先生に心底腹が立った。
先生からしたらそんなこと知ったこっちゃないのにね(笑)
そんなことで怒って先生に「遊び半分でオススメするのやめてください」みたいな手紙まで渡したのは多分私だけだったろうな(^_^;)
ちょっと変わり者じゃなくて、だいぶ変わり者かもしれない(笑)
よく、
「宗教ってなんか怖くない?」
「なんかヤバそうなイメージ」
って言う人いるけど、あれを聞いてちょっとグサッとくる二世信者は多いんじゃないだろうか。
そう思う気持ちはとてもよくわかるし知らないもんはしょうがないけど、やっぱそういう言葉聞くとちょっと悲しい。
私も中学生の頃友達に宗教のこと打ち明けた時「なんか怖いね…」って言われて、わかっちゃいたけどやっぱりショックだった。
二世信者のことは同じ二世信者にしかわからない。
話したってわかりゃしない。
住んでる世界が違うのだから。
見てきたものが違うのだから。
無宗教の人からすれば、私たちは怖い所に身を置いている人間なんだろうし。
私は自分の何が普通で何が変なのかがよくわからない。
でもやっぱり知ってほしいし興味があるならわかって欲しくて、こんなもの書いてる。
世の中はいろんな偏見が沢山あって、宗教のことだってそのひとつに過ぎない。
LGBTとかのようにそんなに話題になってるわけでもない。
特に子供に信仰を強要することは虐待だと思うし、宗教が原因で精神やっちゃう人も多いらしいから二世信者のことがもっと社会問題になってもいいのにって。
池上彰さんあたりがテレビでズバズバ言ってくれるといいんだけどなぁ(笑)
だから広まればいいと思う。
普通の人たちと教団の人たちとの間を、どちらにもなれず彷徨っている人間もいることが。