今回は、魯迅さんのお話をさせていただきます。

僕は、魯迅さんのファンであり、同志です。

 

 

 

 

中国近代文学の父と呼ばれる魯迅さんは、日本と縁の深い方です。

魯迅さんは、西洋医学を学ぶため、日本に留学していた期間があります。

また、医学の道から文学の道に転身したきっかけも、日本でのある経験によるものです。

 

そういった背景もあり、多くの国語の教科書に魯迅さんの作品が採用されており、僕も、中学校と高校の国語の授業で、魯迅さんの作品と触れ合った一人です。

 

高校で触れた魯迅さんの作品で、魯迅さんの生涯の師とも言うべき日本人が紹介されており、そのことは僕に強い印象を残し、後に、魯迅さんの多くの作品を僕が読んでみるきっかけとなりました。

 

 

 

 

その日本人とは、藤野厳九郎さんです。

『藤野先生』という作品のタイトルにもなっている、魯迅さんの恩師です。

藤野先生は、現在の東北大学医学部にあたる仙台医学専門学校で、解剖学講座の教授として、魯迅さんを指導しました。

藤野先生は、退官後に、故郷である福井県で、開業医として貧しい人たちのために借金をしてまで診療を続けられた方です。

現在、福井県には、藤野先生の記念館や記念碑が建てられています。

 

このブログで、過去に書かせていただいた三世代家族の話やふるさと納税の話でも福井県のことを紹介させていただきましたが、僕は何だか福井県に縁を感じます。

 

 

余談はさて置き、国語の教科書などを通してご存知の方も多いかもしれませんが、魯迅さんと藤野先生にまつわる話をさせていただきます。

 

先述の通り、魯迅さんと藤野先生は、仙台医学専門学校で出会います。

この当時、魯迅さんは、自身のお父さんの東洋医学による闘病生活を見る中で、中国での西洋医学の必要性を感じ、日本に留学していました。

藤野先生は、そんな魯迅さんに目をかけ、語学力によるハンデを補うためにノートの添削をはじめます。

 

藤野先生の熱心な指導もあり、魯迅さんは学生生活を充実させますが、その中で、残念なことに、学友からの差別的行為を受けることがありました。

加えて、魯迅さんは、細菌学の講義で人生を変える出来事に遭遇します。

 

細菌の様子をスライドで示す方式の授業で、時間が余った際に、時事ニュースが流されました。

その内容は、日露戦争に関するもので、中国人がロシア軍のスパイを働き、日本軍から銃殺されるというものでした。

中国人スパイが銃殺される時、それを取り巻く中国人が拍手をしながら「万歳!」と叫んでいる姿を見て、魯迅さんは大きな衝撃を受けます。

 

国力の差に起因する故なき差別を受け、そして、同じ中国人の処刑に対して沸きあがる同朋の姿を見て、魯迅さんは大きな決心をしました。

 

母国の発展のために西洋医学を学んで尽力したいと考えていた魯迅さんは、医学よりも大切なことがあると思い立ちます。

 

「愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。」

 

魯迅さんは、自らの考えをこのように記しています。

 

かくして、魯迅さんは医学の道から文学の道へと進んでいくため、中国へと帰国するのですが、恩人の藤野先生に別れを告げると、藤野先生は自らの写真を魯迅さんへ贈りました。

その写真の裏には『惜別』の文字が書かれていたそうです。

魯迅さんは、終生その写真を大事にし、執筆活動が息詰まると、部屋に飾っている藤野先生の写真を眺め、自らを奮い立たせたと言われています。

 

 

そんな魯迅さんの作品の中で、僕が一番好きなものは日本でもっともポピュラーな『故郷』です。

 

『故郷』は、魯迅さんの経験をもとに書かれた作品と言われており、主人公が故郷を訪れ、幼馴染と再会した際のエピソードが主題となっています。

封建的身分慣習が残っていたため、経済的事情や社会的地位の違いから、小さなころには一緒に遊び、笑い合っていた幼馴染が、主人公のことを「旦那様」と呼びます。

この出来事に、主人公は『悲しむべき厚い壁』を感じますが、幼馴染の息子と主人公の甥が楽しそうに遊び、再会を約束する姿に、自分たちが得られなかった『新しい生活』を子どもたちには得て欲しいという希望を見出します。

 

その希望を、魯迅さんは『道』に例えて作品を結びます。

 

「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 

 

子どもたちは、まっさらな状態で生まれてきます。

そこには、無限大の可能性が備わっています。

だから、僕たちは、自らの後悔や希望を、子どもたちに投影します。

 

社会の風潮などにとらわれず、二人で道を示してくれた魯迅さんと藤野先生のように、僕たちも、子どもたちの足元を照らしていきましょうと呼びかけさせていただいて、今回の記事の結びといたします。

 

 

最後に一言・・・大分に元気とまつき!!