広島で原子爆弾が爆発して2ヶ月後の写真 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

これ、、、

前から氣になってて、、、


信じるか信じないかは、、、


指向性なんちゃらで燃やした街とソックリだな?


ちゅーことで、

陰謀論を消化せずに世界は理解できないFacebookグループ投稿より転載させていただきます。

内容がアレなので、真夜中の予約投稿しといたけど、

こんな時間に再投稿しまぁす。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は、昭和20年8月6日、広島で原子爆弾が爆発して2ヶ月後の写真です、。

巷では、米軍が、B29が、原子爆弾を運んで当時、大手町の島外科病院上空600m上空で爆発させたと、原爆資料館では表示しているが、当時の技術で600mで爆発させる技術はなかった。

しかも、B29の爆弾搭載量は、2,5トンで、、、、

原子爆弾の重さは、起爆装置を含めて40トンのおもさであった。

日本陸軍は、すでに、昭和19年3月、大阪枚方市で原子爆弾の実験が成功しており、昭和の朝鮮人天皇裕仁の命令で、広島で原子爆弾をセットして、爆発させた。

今の広島県庁の正面玄関と、そごう百貨店の間の60m道路であった。この場所は、陸軍の領地であったところである。

この写真では、白い空地の部分である。

地上で爆発させると、地面は、約250cm陥没していたはずで、

地上での爆発の証拠を消すために砂を盛り当てて平面にした。

日本の天皇は、日本国籍はなく、イギリスのロスチャイルドの子飼いとして動いていたので、イギリス国籍をもっていた。

ので、明治天皇も、大正天皇も、昭和天皇も、イギリス女王陛下の指名を受け、イギリス陸軍元帥に任命されていた。

で、この原子爆弾の情報のうそを、固めるために、

イギリス女王陛下、昭和天皇、そして、アメリカ軍の三者申し合わせで、B29が原子爆弾投下という嘘を、アメリカハリウッドの映画会社は、このように宣伝した。

この企画は、昭和天皇は、原子爆弾特許(アメリカ特許局)を得るために。おおくの犠牲者の被爆者のやけどのデーターが、必要となり。

日本陸軍は、8月6日の朝、米軍機が飛来していないのに、急襲警報を、午前7時10発令して、住民を家から追い出し、

午前7時50分、急襲警報を、解除して、市民は、ぞろぞろとしないの道路を歩いているところで、8時15分爆発させた。

で、おおくの被爆者が、出そろった。

 

昭和22年2月、昭和天皇は、アメリカ特許局に兵器特許として申請され、受理された。

世界の原子力発電所は、昭和天皇に特許料をしはらって、540基の原子力発電所は建設されたのであります。

その特許料は、天皇が総裁を務めている「日本赤十字社」に振り込まれ、其のお金は、スイスの天皇の口座に振り込まれるのであります。

 

その振り込まれた「お金」流用して、創価学会は、世界の主たる事業に進出しているのであります。

この度の生物兵器のワクチンの製造、ファイザー社の株も、

創価学会が所有している。

 

 

  

 

 

 

 

  

毎週どこかで上映会⇩

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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